数日後に引っ越します。

 今度こそ身の丈に合う居心地の良い生活をしたいです。こじんまりと(笑
 


 カラスウリの種を持って行って植えて、窓際に緑のカーテンを作るのが夢。
まあそう上手くはいかないかもしれないけど。
梅で埋める
梅で埋める
梅で埋める
 今年は梅サワー4リットル分と、お酢を入れない梅シロップ1リットル弱と、シロップから取り出した梅の実を煮て梅ジャムをジャムのビン2個分作った。ジャムから外した種も、種の周りに甘く柔らかくなった果肉がいっぱい残っているので、別のビンに保存して、飴代わりに口の中に放り込んでいる。さすがに種自体を歯でガリっと噛むことは出来ないので、果肉を吸いつくした時点で捨てる。

 梅のこと考えて、梅に掛かり切ってる時は毎日楽しかった。他に何も無くても何かやなことがあっても、わたしには大事な梅がある、って思うとそれが完成するまではなんてことなかったな。

 サワーの完成品は娘ふたりのところに無事渡って行ったし、写真も撮ったし、今年はうちで飲む分も残ってるし、余すところなく使ったし、やったことが無駄にならなくて嬉しい。

 梅干しはまだ無理だったけど、一度作りたいなぁ。できるかな。

 
 今月に入ってから急展開。まず、年内にここから引っ越すこと、そこから2年後を目途に長女が世帯を離れること、その間のどこかで(自分が)入籍することになるかもしれないこと。何勝手に決めてんの?ふざけんなよ!って感じですが、まず自分は無職で貯金なしなので、流れに逆らえない。


 転居に伴う断シャリ、いや断捨離(期限付き)が当面考えるのさえ苦しい。今までいろんな人に勧められてきたけど、かたくなに聞き入れないでいるうちに、いつかやらなくちゃいけない状況にとうとうなってしまった。

 たぶん最低限の衣類と食器と電化製品だけであとは無くても暮らせるし、何も困らないのはよく分かってる。普通ならそれでよかったねってなることも。
 わたしはやっぱり病気なのだな。ココロのヤマイ。健康なふり。

 正論やポジティブなこと言われて説得されてもわたしの中に素直に入らないのは病気のせいだと感じる。
 ものがアルコールでないだけで、アルコール依存と同じくらいは重く、簡単には解決っといかない、誰かがなんとかしてくれれば、というたぐいのものではない感じ。

 つい最近「誰かの為に変わりたいと思えないし、思ったとしても頑張ってもどうしても続かず変われなかった」という話をした。じゃあ自分の為ならば?何が自分の為なのか分からない。とにかく約束や意志の力でどうにもならなくて挫折するから、病気なんだと考えた。

 今は「やり直せる」という考えが無い。何を始めてもやっぱり昨日の続き、としか思えないから、何を決めようと気持ちは行ったり来たりして、そんなことしているうちにいつか終わってしまうんだろうと。後悔も多すぎて、あと何個か増えたところでもうどうしようもできない、みたいな。増やさないに越したことは無いが。


 まあ、今わたしの頭や心がどんなに逝かれてても、せめて体動くうちなんだろうな。苦しみながらでも、自分の手足で「いつか」を迎え入れられるのって最後のチャンスかも?

それでも会話

2019年5月17日 日常
 深夜長女とケンカして、わたし「もういなくなったほうがいいね」長女「そうしてもらえるとうれしいね」


 そしてふたりで黙る。その場から解散。


 不毛過ぎて笑いも出ない。

TALI/YOSHII LOVINSON

2019年5月16日 音楽

車検代の残り

2019年5月16日 日常
 今月来るって言うんで預かっていて昨日無事終了して車も返ってきて。全部済んだ後に残ったお釣り、もらっていいことになった。やった!
 ウキウキ気分は一瞬で、もちろん使いたいことはあるんだけどすっかり貧乏性になって、どうせ苦しくなるに決まってるんだからと結局手を付けられず。だって本当にいつその日が来るか分からないし…。わたし次第だからなと考えてしまう。焼け石に水とは思わない。一杯の水があるとないでは違う。喉が渇いた時に差し出された水の如し、くらいに思っている。わたしの中では「北斗七星の話」まで広がる。



 車はやっぱりあると便利なので(だんなが居る時は)。ない時期も数年あったけど、みんな自分で歩けるし自転車も乗れるしで、どうしても困る!ってほどのことはそこまで無かったけど、やっぱりあるとないではあった方が断然便利なので、まあ。

 あった方が…なのは、だんなが運転好きで、家族のどんなくだらない私用でも、具合が悪くなくて目が覚めている限り「乗せてって」の頼みを断らない人だからだ。こっちが何も言わなくても送って(迎えに行って)あげようか?って言ってくれるし。長女が高校生だった頃は、急に雨が降ったりするとバイト先に迎えに行って自転車を積んで帰って来たものです。今はさすがにもうトシなのでそこまでできないけど(さすがにそこまで望んでないし)。そうじゃなければまた考え違ってたかも。

幕張メッセ

2019年5月15日 日常
 今年のね、まだ平成だった頃に初めて行ってきました。ひとりで。

 ものがライブ(音楽・オールスタンディング)だったというのもあるけど、今までにないくらいしんどかった。ライブ自体は楽しかったけど、大感激だったけどとにかく身体がつらくなりました。うーんやっぱり「ライブハウス」と違うなぁと単純に思った。もしあの場で大地震とか来たらもう自分真っ先に終わるかと。

 こんなんじゃあドームとかスタジアムとかなんか無理な気がするな。ひとりでっていうのがハードル高かったのかな。入場前にもうかなりHP削られてた。慣れればどうってことなくなるかもしれないが、慣れるほど行くあてもない。

 電子チケットはもう慣れたかな。スマホの使用に慣れたということかもしれない。分からないことはまだいっぱいあるけどさ。
 今更だけど、すごいものがあると感じる。昔は「材料」しか売って無かったからうちで作る以外の選択肢がなかっただけなんだろうけど、現代なんでも手を汚さずに?出来上がったもの買ってすぐ食べれるのに、それは本格的なものもあって充分美味しいのに、うちで作ってもらって目の前でよそってもらって手わたしのお茶碗、のすごいのはなんだろう。効果は計り知れないものがある。別にそんなたいしたもんじゃなくても同じようなものが続いても関係無いのだ。


 わたし、そんな貴重な時間なんて短かったんだろう。いらない、食べたくない、とかよく平気で言い放ったねこのバカ!って、あの頃に戻れるなら…

 今は作る方の役割がすっかり自分の居心地がよくなってる。わたしはなんだかんだ言って、普通に居られるなら、食べてくれる人が居るなら食事を考えて作る、ということ、そんなに嫌でもないのだな、って気が付いた。本当に嫌いなのは移動と買い物ね。そこで躓くから面倒に感じてしまうことが多い。誰でも出来ることが自分にできることがすごいと思うし嬉しくもある。堅いものが柔らかくなること、カタマリだったものがそれぞれあるべき形になってひとつのお皿に乗ること、そんなこと全部が。

 食べてる人を見てるのも好きなんです。なんで見るの!見ないでよ!ってよく怒られたな(笑)まあ、そういうのもいくら自分の子どもでも相手からしたら失礼なのかもしれないけど、ふだん節穴のわたしでも、そこにはわたしが理解できるすごい情報があるんだもん。見ちゃうよねやっぱり。

R1

2019年5月14日 日常
 令和元年生まれ。

待つことの耐性

2019年5月14日 日常
 待つのは基本好きじゃないのは相変わらずなんですが、それでも待つことだけで精一杯、他に何も手が付けられない!というほどの難儀な苦痛ではなくなってきた。今の自分は「待つ行為」自体がいつのまにか「当たり前」になってきたので、当たり前と感じるくらいには待つ苦痛への耐性が高くなってきたのだと思う。良いことです。それでも別に楽しくはない。決してない。

 待たれている(時間的な意味で)、と自覚するのは相変わらず大変に苦痛で、気が焦ると何も動かなくても嫌な汗が出てくるくらいには体調まで異変をきたすこともある。待っててくれて助かるのはギリギリになってしまったけどどうしてもそれに乗りたい!という電車とかバスの発車だろう。それも乗りそびれても昔ほど苦痛じゃない。次を待てばいいだけ。今はスマホ持ってることが便利、助かる、ヒマつぶせる。思考停止。


 すごい期待、じゃなくて、当たり前(にみえても誰かのたゆまぬ努力のお陰なんだけどね)にやってくることだけ当たり前に続けばいいなぁと思う。続くことすら奇跡、とかいうとまた話の方向が違ってきちゃうから、取り敢えず当たり前は「当分」続くのが前提でもの言ってます。


 面白くないかもしれないけど急上昇急降下がないので壊れたり壊したりすることも減るのでね。
 去年も大晦日にコドモ連れていきなりうちに来た人がいたっけ。夜お迎えが来て泊らず帰ったけど。みんな寛容でクソ羨ましい!って思いました正直。わたしが同じくらいの時同じことしたらどうなってたかどんな仕打ちが待ってたか…。温かく迎えてくれる人なんていたか…。なんか最後の最後までひがみっぽい。でもこーいうことは歳とっても忘れらんないのよ。ホント。

 だからってわたしだって冷たくしたりしない。そんなことあったりまえだろ!!


 あーわたしも帰りたい。帰る場所なんてないけど。優しくされたい。

治った

2018年12月30日 日常
 ほぼ予定通り。誰も何もきいてこないからしばらく黙ってようっと。


 太ってた時は太ってるからあれも無理これも厳しい、やせられたらあれもしようこれもしよう!とか妄想してたものですけど、今となってはそんなのも全部嘘でした。できない言い訳はほぼやりたくない言い訳。これが本当。


 逆に、すっごくやりたくないことでも生命(活動)に関わるような脅しでもって強要された時、それでも(こんな)命と引き換えにしてでも断り切れるのだろうか?とか、考えちゃうと胸の中がまたどっろどろ。できるの自分?


 思考停止。
 だんなが帰ってくる。10月以来ぶりか。あの時生まれた赤子がすごい勢いで大きく育っているから、会ったらびっくりするだろうな。

 そして、まあ今度こそいろいろ揉めませんように、くだらないケンカしませんように、とおまじないを唱えているわたしです。なんかヤバくなったらどこか避難先あるといちばんいいんだよね。


 人間関係の化学反応、できるだけ予想して対策も考える。予想付かないことももちろんあるから、そこで2対1、3対1とかになると(当然わたしが1)また発狂しそうでイヤ。見世物じゃありませんよ。


 あれ?なんか楽しみとか他に考えることないのかしら?

あと咳だけ

2018年12月28日 日常
 なんとか。

先取りか!

2018年12月28日 日常
 お正月前にやっとけってか。

もうちょっとで

2018年12月20日 日常
 森茉莉が作家デビューした時の歳になる。茉莉はそこからのスタートで原稿料や印税から自分の「老後貯金」を貯めて、高額医療(当時の)入院手術3回分くらいはなんとか貯まった!と喜んで人に言って訝しげな顔されたのが70代後半だか80代頃、だと言う。いや、すごい根性あるよ。すごいと思った。思ってる。めっちゃ大ヒットとばした人じゃなくて、コツコツとかなりの分量の原稿を書き続けていた人だから尚更。


 一生出会わないし関わらないだろうと思っていたお茉莉ファンが、わたしと同じアーティスト(音楽)好きの中にいて(知り合ったのはそっちが切っ掛け)、そんな偶然にビックリした。そうと分かり合ってもお互いまだ全然語り尽くすほど語ってないけど、ていうかそこまで話題にも出さないけど、なんというレアでコアな出会いってあるんだろう、と非常に感慨深かった。もちろん鴎外のことは「パッパ」と呼ぶ(爆)


 もうすぐ平成おわってしまうのねー。実感ないけど。ほんと実感ないよ。相変わらずテレビをつけないせいかも。テレビ番組どころじゃない、DVDの類すら観てない。もっぱらネット(PC・スマホ)のみ。動画もそんなに観ない。耳から入ってくれば充分なので静止画で充分だし、聞きながら目は別のことやってる。そんなんで知らない、顔知らない、名前聞いたことあってもほんと姿を知らない、動いている姿特に知らないって、逆に大昔みたい(笑)。ラジオ向いてるのかなあ?チューニング合わせるの苦手だし、番組予定も把握できないのでそこは壁高いな。
 動く(動ける・動かせる)自由、移動する自由があるのにしないなんて。動けなくなったらどれだけ羨んでひがむか充分過ぎるほど分かり過ぎるのに。

 ほんとなにやってんだろうって思う。特にストーブに灯油の件。

カップめん生活

2018年12月20日 日常
 50代になるまでインスタント・カップめんの類が嫌いで隣で誰が食べてようと欲しくならなかったし、実際ほとんど食べてこなかった。のに、今一日のうちの1主食な日がてんてん、とある。自分で買ってくる。主にうどん。カップうどん。近所のお店でとても安くて、家で手軽にあったかいものが取れるので。食べたいものが無い、面倒くさいけど何かお腹入れたい時に助かる。何より安いのが助かる。同じ値段でチンするハンバーガーとおにぎりと缶詰売ってるけど、選ぶならカップめん。あったかい汁が飲みたいの。薄くてしょっぱくてあったかいやつが。

 美味しいのかって言われると、まあそんなにダメでは無いよ?と思う。うどん、ではなく、こういう柔いめん類、と思えば。スープはだいたい美味しい気がする。

 食べる気しなかっただけで身体が受け付けなくてー、とかそう言うの無くてよかった。体つくり大事の頃避けてたから、今更細かいこと気にすることないと。人が見てない時に限るけど。「(一応主婦のくせにずっと家にいる癖に暇な癖に)こんなもの食べて!」と言われると、言われるのがとてもめんどうくさい。人が見てない時に歌う、食べる、面倒じゃないことって、ないなあ今。人のためどころか、自分のためにだってすごく。


 あー少しは盛り返せたかも?と思った時もあったのにまたクズに返り咲いてる。他人(ごくせっまい範囲の少人数)の価値判断から抜け出せない。批判されそうなことはコソコソするという。じゃあ全部スパっとやめれば「どうだ!」ってドヤ顔できるかもしれないのに、それもしようとしない。

 いや別に意地になってるわけでもないんだけど、、ラクに流されまくってるのがラクというどうしようもなさ。周りが勝手に賢くなっていくミラクル。

いきたくない

2018年12月18日 日常
 長女がこのところ毎日「仕事行きたくない」とぼやく。以前はうちの三姉妹全員がこのセリフを定期的に言っていたなあ。今は長女だけなので、長女からしか聞かないが。

 わたしも働いている時はよくこのセリフを言ってたもんだし、わたしの母も言っていたし、おばあちゃんはもう現役じゃなかったけど、よく「早く死にたい」って言っていた。わたしの知る限り、わたしが10歳くらい?から本当に亡くなるまで10年以上それを聞いていた。まあでもみんなちゃんと仕事行ってたし病気にならなければ自分から絶とうともしなかったんだけど。


 ふと、長女に、そういうこと言うのはわたしの影響もあるの?と(とっても間抜けな顔して見えてたんだろうな)訊いた。わたしがなにもかもヤダヤダ行きたくない(仕事どころじゃなく、ほとんどどこでも)って言うから(口に出して言ってしまうのも)、遺伝…ではない、これも家族の連鎖なのかと思ったのでした。

 「影響とか何言ってんの!自分が行きたくないから行きたくないって言うだけ。関係無いから」「行きたければお母さんがどうだろうと言わないでしょ!」と一喝されて終了。

 行きたくない理由が「時間通りに準備して家を出なきゃならない」っていう行為がめんどくさいから、って、すごくわたしと同じで、仕事の形態や仕事内容自体が嫌なわけではない、行ってしまえば別に大丈夫で「これから行く(行かなきゃならない)」のが死にそうに辛いって、分かり過ぎる。ここを普通にクリアするのが一番大変なので。お金を稼ぐって大変だよね。どこでもドアはよ。

魔女狩り

2018年12月17日 日常
 狩る方じゃなく、魔女でした。しょぼい方の。せいぜい逃げ続けます。

 もっと見た目から言動から激烈な人(すごい魔女)がいくらでもいるので、直にタゲられることはほぼなく、うまいこと行きそうです、今のところ。今のところは。


 正体は隠してるような、隠しきれてないような、どこかでポロっとぼろが出るような、いつでも中途半端。そういった抜け作なところは言ってるだけならなんかそれ系映画の主人公的ですが(笑)、実際はまあ引き籠りだから。街に出ない。目に入る率低し。

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