大ボケ日和

2004年4月22日 日常
今日は公休日だったのに(ってことは2連休だった)、何故か自分では出勤日と記憶しており、昨夜ついつい夜更かししてしまったのもあって、いつもに増して身体がヨタってたところ気力でもっていつもの時間までに出掛けた……のはいいのですが、只徒にAさんを驚かせに行ったようなもので(タイムカード押す前だったのでヨカッタ)そのまま着替えて帰宅、に相成りました。その後外に出る気力が残っているうちに、溜まっていたリサイクルゴミ(本日は壜・缶・ペットボトル・危険物)をガシャガシャより分けて捨てに行き(わたしのインスタント珈琲の空き壜の多いこと!)、2日分の洗濯物を洗って干し、流しの洗い物も済ませてHyperモードを発揮することが出来ました。……って、あのまま仕事行ってたらこれ全部放置中だったということで……(汗)。どっちにしてもやっぱりグダグダして中途半端なまま朝の貴重な時間を食い潰している毎日からは抜け出せない自分。

同居人さまのお弁当は毎日作るのですが、月曜からわたし・わたし&タマ・タマ・タマ…とどんどんムスメ任せになっている罠(爆)。それと比例して、わたしの夜更かし状態も酷くなってきているので(しかも朝からボケまくっているし;)、明日という明日は「朝はちゃんと起きて活動します」と、口で言うと狼が来たぞー、になってしまうとイヤかも…なので、心の中で誓いました。

最近では家事雑用等も、必ずしもわたしじゃなくちゃ、ってことなんてそんなに無くなって来ているから、甘えようと思えばラクできてラッキー♪、なのでしょうが、そういう暮らしがしたいんでもないわけで……。やはり家の中でも『無用の長物』になるのは悲しい。昔のように何も手伝ってもらえずに、当然のようにわたしに全てがのしかかっていた頃は、確かに「他のひと達のように出来ない」自分が辛くてしょうがなかったし、少しは手伝ってほしい、たまには代わってほしい、と恨みつらみ的感情もあって、僻みっぽい物言いでぶつけてしまったこともありましたが、各自自分で&出来る時出来るひとが協力、をしてもらえると、今度はそれに精一杯応えたい、少しは役に立っていたい、という思いは自然に生まれてくるようだったりします。

「手伝ってもらえない」と言うのはちょっと言い過ぎでした(汗)。確かに手伝ってもらったり、肩代わりしてもらったことは数知れずで、当時でもそれに感謝の気持ちが無いわけでもなかったのですが、主体がわたしでは無かったのが未だに拭えない微妙な感情となって残っていたりするのかも。わたしがしてほしいこと、頼みたいことをしてくれるのではなければ意味が無かったのだと思います(やってくれるのは確かに有り難いけど、わたしの仕事を取りあげて、わたしが「手伝い」の身分になっているのでは心は晴れないのだ)。出来ない(下手)んだから、自分の言うとおりにしろ!というタイプの手助けは、わたしにはプラスの方向に進まなかったのでした。それに甘んじて一時的にラクをしたとしても、わたし自身はますます肩身が狭くなるだけだし……。身体はラクになっても心が重くなる…結局マイナスですね。

全部が全部、というわけではないけれど、そういう辛さから抜けつつあるのは(あくまでも、わたしの気持ちの上だけかもしれないけど)良いことだ、と思っています。

取り敢えず、ひとに「イヤなら無理してやらなくてもいいよ」と、普通に(厭味っぽく怒って、ではなく)言えるようになれたことも…。

大ボケからまた話が飛びました。足を揃えて跳躍ー!

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