今日は母の命日。ということは弟の誕生日。
全てが薄く淡くなってきた。もっと昔のことは庭に咲いていた花の色まで憶えているのに。時間の流れってどういうものなんだろうね…。
*
わたしには2歳と5ヶ月違いの弟がいるのですが、彼とは2年前の11月に義絶されて以来一度も会っていません。顔も見ていない。地元にいるのかどうかも分からない。義絶された原因は、ひと言で言い表せないこと、と自分では思っているが、つまり彼をそこまで激怒させる何かをしてしまったと言うことなのでしょう。彼の「距離を取る」ということは、わたしを嫌って憎んで顔も見たくない、死ねと言い捨てて実際に捨てることしか出来なかったのでしょう。
正直、それ程のことをしたとは自分では全く思えないのですが。本当のところ、わたしは弟のことをそれ程好ましいと思えなかったこと、いくら姉弟でも踏み込まれたくないこと、それを言うと利用するだけ利用した、と、思われてしまうこと、更に借りを作って何も言いたいことを言えなくなるのが嫌だったこと、など、わたしの側からの気持ちもいろいろあるのです。
弟の幸せは静かに願っているけど、わたしのことに口を挟まれたり、週に3度も4度も連絡もしないで突然やって来きたり、引きこもっていた時に見当外れな説得されたり、が本当に嫌だった。要するに距離を置きたかっただけなのだ。はっきりそう言えばよかったのに、言えなかった。ようようにして言ったことは、結婚、いや、他人と(異性でも同性でも)共同生活さえしたこともなく、コドモを育てたり、せめて関わってみたりもしたこともないひとに「生活」のことなんか指図されたくない、と言うこと。キツイだろうか。ひとの厚意を踏みにじったことになるのだろうか。
自分が鬱な時に重苦しい相談をされるのも辛かったし、親として、みたいな説教を「世の中の(自分達姉弟の)母は…」云々されるのが滅茶苦茶嫌だったのだ。むしろ苦痛と引き換えの援助なんて御免だ。本当に切羽詰るくらい困ったなら、自分の方から何かしらしかるべき所を探して頼むというアクションだってできるのに…。その時、どう考えても弟の意見など聴きたいとは思わないし、実際相談する気にはならない。わたしが逆の立場でもひとに上から意見なんて絶対しないだろう。そういうところが分からないのだ。
わたしもひとのことなんて言えたものでは無いが、今行ってもいいだろうか?相手には余裕があるのか?くらいは一応考える。奇襲攻撃は断られても文句は言わない(残念ではあっても)。彼は分かってなかった。何故わたしが居留守をするのか、電話に出ないのか。来て欲しい、と誘わないのか。はっきりなんて言えない。言ったらわたしが悪者だ。もう十分悪者になってしまったけど。
人間関係の躓き、というのがわたしにも弟にも沢山あったけど、彼のおこす行動とわたしの逃げは全然困難のタイプが違う、と思う。彼は今でも「自分は健常者だ、勝れた人間だ」と自信を持って思っているのだろうか。わたしは数ヶ月に一度、お互いの都合を寄り合わせて外で会う、というくらいの付き合いで十分なひとだから、彼にされたことは大変な苦痛だったこと、などきっと分からないし、わかろうともしてくれないのだ、と思ってしまう。困った時には助け合っても、生活は別、ということも……。彼にとってかなり傷付く物言いだと思うけど、別々の人間なのだからしょうがないと少しは理解して欲しかった。
今更、かもしれないが、わたしの方は、わたしの気持ちを汲み取ってくれるならもう一度姉弟としてお付き合いすることに異存はない(決して向こうからはもうやって来ないことは朧気に思うが。わたしも切っ掛けが掴めずにいる)。どうしてもキツい時は無理に話をしない方がいいこと。お互い頼まれないことに口を出さないこと。最低限、相手の状況を理解し、気持ちを尊重し合うこと。それだけです。気持ちの底辺には悪意や憎悪は持っていないから。苦手意識だけ。わたしは今でも自分が全部悪いとも思わない(悪いところがあったことは認める)。独り者の寂しさ、苦労はわたしも本当にはわかっていない。家のようにこんなトンでもない家庭だって、わたし達が必死で手に入れて守ってきた家庭なのだ。ここの居心地が良くて好きで一緒にいるのだ。自閉的な人間が好むのは、あまり世間や諸々に対して何もかもオープン、な家庭ではないのも当たり前だ、と思う。どちらかというと自分(達)の閉鎖的な家庭の、そのリスクだって、多少寂しくても拒絶されてもわたしは普通に受け入れようとしている。自分が苦痛なことはひとにも強要は(今は)しないように心掛けているつもりだ。
何時まで続くのだろう……。わたしは彼の幸せを願っている。自分勝手な言葉をぶつけてしまったが、嘘ではない。
全てが薄く淡くなってきた。もっと昔のことは庭に咲いていた花の色まで憶えているのに。時間の流れってどういうものなんだろうね…。
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わたしには2歳と5ヶ月違いの弟がいるのですが、彼とは2年前の11月に義絶されて以来一度も会っていません。顔も見ていない。地元にいるのかどうかも分からない。義絶された原因は、ひと言で言い表せないこと、と自分では思っているが、つまり彼をそこまで激怒させる何かをしてしまったと言うことなのでしょう。彼の「距離を取る」ということは、わたしを嫌って憎んで顔も見たくない、死ねと言い捨てて実際に捨てることしか出来なかったのでしょう。
正直、それ程のことをしたとは自分では全く思えないのですが。本当のところ、わたしは弟のことをそれ程好ましいと思えなかったこと、いくら姉弟でも踏み込まれたくないこと、それを言うと利用するだけ利用した、と、思われてしまうこと、更に借りを作って何も言いたいことを言えなくなるのが嫌だったこと、など、わたしの側からの気持ちもいろいろあるのです。
弟の幸せは静かに願っているけど、わたしのことに口を挟まれたり、週に3度も4度も連絡もしないで突然やって来きたり、引きこもっていた時に見当外れな説得されたり、が本当に嫌だった。要するに距離を置きたかっただけなのだ。はっきりそう言えばよかったのに、言えなかった。ようようにして言ったことは、結婚、いや、他人と(異性でも同性でも)共同生活さえしたこともなく、コドモを育てたり、せめて関わってみたりもしたこともないひとに「生活」のことなんか指図されたくない、と言うこと。キツイだろうか。ひとの厚意を踏みにじったことになるのだろうか。
自分が鬱な時に重苦しい相談をされるのも辛かったし、親として、みたいな説教を「世の中の(自分達姉弟の)母は…」云々されるのが滅茶苦茶嫌だったのだ。むしろ苦痛と引き換えの援助なんて御免だ。本当に切羽詰るくらい困ったなら、自分の方から何かしらしかるべき所を探して頼むというアクションだってできるのに…。その時、どう考えても弟の意見など聴きたいとは思わないし、実際相談する気にはならない。わたしが逆の立場でもひとに上から意見なんて絶対しないだろう。そういうところが分からないのだ。
わたしもひとのことなんて言えたものでは無いが、今行ってもいいだろうか?相手には余裕があるのか?くらいは一応考える。奇襲攻撃は断られても文句は言わない(残念ではあっても)。彼は分かってなかった。何故わたしが居留守をするのか、電話に出ないのか。来て欲しい、と誘わないのか。はっきりなんて言えない。言ったらわたしが悪者だ。もう十分悪者になってしまったけど。
人間関係の躓き、というのがわたしにも弟にも沢山あったけど、彼のおこす行動とわたしの逃げは全然困難のタイプが違う、と思う。彼は今でも「自分は健常者だ、勝れた人間だ」と自信を持って思っているのだろうか。わたしは数ヶ月に一度、お互いの都合を寄り合わせて外で会う、というくらいの付き合いで十分なひとだから、彼にされたことは大変な苦痛だったこと、などきっと分からないし、わかろうともしてくれないのだ、と思ってしまう。困った時には助け合っても、生活は別、ということも……。彼にとってかなり傷付く物言いだと思うけど、別々の人間なのだからしょうがないと少しは理解して欲しかった。
今更、かもしれないが、わたしの方は、わたしの気持ちを汲み取ってくれるならもう一度姉弟としてお付き合いすることに異存はない(決して向こうからはもうやって来ないことは朧気に思うが。わたしも切っ掛けが掴めずにいる)。どうしてもキツい時は無理に話をしない方がいいこと。お互い頼まれないことに口を出さないこと。最低限、相手の状況を理解し、気持ちを尊重し合うこと。それだけです。気持ちの底辺には悪意や憎悪は持っていないから。苦手意識だけ。わたしは今でも自分が全部悪いとも思わない(悪いところがあったことは認める)。独り者の寂しさ、苦労はわたしも本当にはわかっていない。家のようにこんなトンでもない家庭だって、わたし達が必死で手に入れて守ってきた家庭なのだ。ここの居心地が良くて好きで一緒にいるのだ。自閉的な人間が好むのは、あまり世間や諸々に対して何もかもオープン、な家庭ではないのも当たり前だ、と思う。どちらかというと自分(達)の閉鎖的な家庭の、そのリスクだって、多少寂しくても拒絶されてもわたしは普通に受け入れようとしている。自分が苦痛なことはひとにも強要は(今は)しないように心掛けているつもりだ。
何時まで続くのだろう……。わたしは彼の幸せを願っている。自分勝手な言葉をぶつけてしまったが、嘘ではない。
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