1年と数ヶ月経験してみて、今、思うこと
2004年5月5日 おでかけ
ISBN:4150307555 文庫 清原 なつの 早川書房 2004/03/09 ¥882
花図鑑シリーズ、表紙が好きなので2巻も此処に載せたいのでした。昔のコミックス版の表紙も好きなので、レヴューを書くわけじゃないけど「イラストとして眺めたい」ので紹介しちゃうかもしれません。
今日は仕事に入った直後から、最近のうちでは久々と言えるくらいDさんのわたしに対する機嫌がお悪いようでした。イキナリ一昨日のことで文句を言い出し(なんであんなに時間掛かったの?何をやってたの、片付けもしないでさ、とか。ちゃんと当日話したはずなのに)、それから、近くに住んでいるのにもっと早く来れないのか云々(わたしは別に遅刻をしたわけではない。今日は)、BさんもAさんも「いつも」そう言ってるよ、と、始まって、ひとしきり言いたいことを言った後、いつもと違い、しょっちゅう(自分の話を)何だかんだ話し掛けてくるのをせずにずっと無言で仕事をしていました。ご苦労様です。どうしてああも態度を豹変出来るのか、ちょっと感心しちゃいます(笑)。友好的な雰囲気を維持しながら相手に至らぬ所を注意するのは確かに大変難しいとわたしも思うのですが、別に注意警告=扱き下ろし、というわけでも無かろうに……と思ってしまうのはダメでしょうかね。
Dさんの「わたしが気に入ればお目こぼし・気に入らなければ、なんとでも言う」みたいな法則はやっぱり理解(受容)したくありません。不愉快だけど、そういう感情に振り回されて自分までを下げてもしょうがないので、割り切って受け流します。Aさん、(最近会わないけど)Bさんがわたしに苦言を呈する時「●●さんも言ってたよ」と、いちいち言わないのと、Dさんの「気に入らなさ、相手を落としたさ」を直にぶつけて来るのでは、わたしにとっては大きく意味が違います。……ってゆか、わたしはやっぱりどう思われようとどうしても自分が可愛いので、という理由で自分の不利になることは本当にはしたくないのです。こういう考えをハッキリ心に描けるようになったのも自分的には良いことだ、とも思ってしまいます。どうにも普段の平常心を(薬のお蔭で)覚えたわたしはこの頃かなり自己愛がすごい(?)のです。よっぽど悪いことをしてしまったと自覚できる時以外、自虐は性に合わないのかとも思います。あくまでも「行動」というより「心根」のことですが。
家に帰り、土日祭日など家に居て待っていてくれる同居人さまと顔を合わす度「今日の出来事」を重要度に(自分的重要度)添って話をするのですが、あんまり愚痴を言うと「辞めてしまえば」と言われるので、ただ「ムカツイタんだよ」程度のことばかりしか話さないのですが、久々に今までお互い穏やかに接していた筈のDさんに当たられ、その後無言になられたりするとつい少しは感情的になってしまいますね。自分が絶対どこも悪くない、ということも実際有り得ないので、痛いところを突かれるとつい「言い返せない」と思ってしまうのもあります。明日・明後日は公休なので、明々後日から時間を15分前にはタイムカード通せるくらいに早く行くことにして、ある意味実験しようかとすら思いました(バカげていることだ。それは自分にとってのウィークポイントであり、難関だということが解かっているから)。
Dさんはわたしだけじゃなく、誰のことも欠点を取りあげては文句を言っているので、たまたま持ち回りの順番がわたしに回ってきただけなのでしょう、ことはもう判っています。Dさんは(わたしから見て)仕事以外の面でしんから信頼されていないのももう気が付いています。みんな同じ。いいように自分の都合のいい話に同調して一緒になって文句を言ってくれる人が気分いいらしい。月にして4万そこそこを稼ぐ為の主婦パートの人間関係。その場で先に言ったもん・やったもん勝ちなのだろうか?
なんかどうにも「や!」なのですが、やっぱり甘ちゃんの我儘なのだろうか……。わたしは苦労なんてひとに誇りたくない。そういう自分が恥ずかしいから(いかにも苦労してきたことを思い入れたっぷり感情的に話す自分を想像して中のひとのひとりが醒めた目で見ているのも想像する)。メモを取る姿を見られるのが恥ずかしい、という感覚と同質のものだと思う。わたし特有のもので、他人がすることに関しては全然構わないです(恥ずかしいひともいれば、全然そうじゃないひともいる、という違いだけのこと)。いつも楽しい話がしたい。そうとばかりも行かないのが悲しいですが……。
*
以前「どうでもいい」と思っていたこと。今でも正直どうでもいいのですが、ついついなにか書きたくなってしまったのでした。わたしには相手をコントロールする術も技も原動力もありませんから、自分にとっての自然の反応しか出来ませんし。家に帰ればオサラバ、でもあるのでまだラクな方なのでしょうね。もちろんDさんにも誠実さ、優しさ、情の深さはある、と感じている。ただ、どうして何かを表現する時に毒をくるむのか、やりきれなさを感じさせるのか、が自分の引っ掛かりなので。見下されているからかな? もう止めよう……。
*
午後は同居人さまとふたりで電車に乗ってオオミヤ行き(特に用事はないのですが)でした。まず最初に珈琲とケーキ(笑)。お客が若い女の子ばっかでちょっと場違いなふたり…。しかもスパゲッティまで食べてるし。珈琲とケーキとスパゲッティ、です。外は寒いのにお店や電車の中はちょっと暑くてポッポしてしまいました。
その後ジュンク堂書店に入り(わたしは初めて)タマの欲しがっている小説をやっと発見しました。昨日あんなに探し回って何処にも置いてなかったのにあっさり何冊も置いてありました。取り敢えずゲット。すごく広い本屋さんで(フロアがふたつあって、目の中に本棚や背表紙が入りきれない……)、殆どのジャンルが揃ってしまいそうに思えました。感動。それに引き換え、うちの地元がいかに本屋さんに恵まれていないのか、シミジミ悲しくなる。ここにはわたしが読みたかった本もしっかり置いてあったんですもの。同じ県内なのに(理由にはなりませんが)。オオミヤ人が羨ましいなあ……。ここが地元になったらタダで(今日は往復600円しました)毎日退屈しないで過ごせると思います。暑かったので駅でアイス珈琲をズズーッと飲み干して、買った本を読む楽しみを想い、ウキウキしながら電車に揺られて地元に着いて、同居人さまの定期券と御飯の買い物をして帰宅しました。今夜は甘塩鮭(焼き魚)と鮪の赤身のお刺身(30%割引)と1本98円の大根でおみおつけ、です。
■今日買った本
・ぼやきと怒りのマリア ある編集者への手紙/森茉莉 小島千加子編/筑摩書房
・鴎外の子供たち あとに残されたものの記録/森類/筑摩書房(ちくま文庫)
「ぼやきと...」思いがけず御縁があったのがとっても嬉しい。高かったけど機会を逃さずにゲットです。
花図鑑シリーズ、表紙が好きなので2巻も此処に載せたいのでした。昔のコミックス版の表紙も好きなので、レヴューを書くわけじゃないけど「イラストとして眺めたい」ので紹介しちゃうかもしれません。
今日は仕事に入った直後から、最近のうちでは久々と言えるくらいDさんのわたしに対する機嫌がお悪いようでした。イキナリ一昨日のことで文句を言い出し(なんであんなに時間掛かったの?何をやってたの、片付けもしないでさ、とか。ちゃんと当日話したはずなのに)、それから、近くに住んでいるのにもっと早く来れないのか云々(わたしは別に遅刻をしたわけではない。今日は)、BさんもAさんも「いつも」そう言ってるよ、と、始まって、ひとしきり言いたいことを言った後、いつもと違い、しょっちゅう(自分の話を)何だかんだ話し掛けてくるのをせずにずっと無言で仕事をしていました。ご苦労様です。どうしてああも態度を豹変出来るのか、ちょっと感心しちゃいます(笑)。友好的な雰囲気を維持しながら相手に至らぬ所を注意するのは確かに大変難しいとわたしも思うのですが、別に注意警告=扱き下ろし、というわけでも無かろうに……と思ってしまうのはダメでしょうかね。
Dさんの「わたしが気に入ればお目こぼし・気に入らなければ、なんとでも言う」みたいな法則はやっぱり理解(受容)したくありません。不愉快だけど、そういう感情に振り回されて自分までを下げてもしょうがないので、割り切って受け流します。Aさん、(最近会わないけど)Bさんがわたしに苦言を呈する時「●●さんも言ってたよ」と、いちいち言わないのと、Dさんの「気に入らなさ、相手を落としたさ」を直にぶつけて来るのでは、わたしにとっては大きく意味が違います。……ってゆか、わたしはやっぱりどう思われようとどうしても自分が可愛いので、という理由で自分の不利になることは本当にはしたくないのです。こういう考えをハッキリ心に描けるようになったのも自分的には良いことだ、とも思ってしまいます。どうにも普段の平常心を(薬のお蔭で)覚えたわたしはこの頃かなり自己愛がすごい(?)のです。よっぽど悪いことをしてしまったと自覚できる時以外、自虐は性に合わないのかとも思います。あくまでも「行動」というより「心根」のことですが。
家に帰り、土日祭日など家に居て待っていてくれる同居人さまと顔を合わす度「今日の出来事」を重要度に(自分的重要度)添って話をするのですが、あんまり愚痴を言うと「辞めてしまえば」と言われるので、ただ「ムカツイタんだよ」程度のことばかりしか話さないのですが、久々に今までお互い穏やかに接していた筈のDさんに当たられ、その後無言になられたりするとつい少しは感情的になってしまいますね。自分が絶対どこも悪くない、ということも実際有り得ないので、痛いところを突かれるとつい「言い返せない」と思ってしまうのもあります。明日・明後日は公休なので、明々後日から時間を15分前にはタイムカード通せるくらいに早く行くことにして、ある意味実験しようかとすら思いました(バカげていることだ。それは自分にとってのウィークポイントであり、難関だということが解かっているから)。
Dさんはわたしだけじゃなく、誰のことも欠点を取りあげては文句を言っているので、たまたま持ち回りの順番がわたしに回ってきただけなのでしょう、ことはもう判っています。Dさんは(わたしから見て)仕事以外の面でしんから信頼されていないのももう気が付いています。みんな同じ。いいように自分の都合のいい話に同調して一緒になって文句を言ってくれる人が気分いいらしい。月にして4万そこそこを稼ぐ為の主婦パートの人間関係。その場で先に言ったもん・やったもん勝ちなのだろうか?
なんかどうにも「や!」なのですが、やっぱり甘ちゃんの我儘なのだろうか……。わたしは苦労なんてひとに誇りたくない。そういう自分が恥ずかしいから(いかにも苦労してきたことを思い入れたっぷり感情的に話す自分を想像して中のひとのひとりが醒めた目で見ているのも想像する)。メモを取る姿を見られるのが恥ずかしい、という感覚と同質のものだと思う。わたし特有のもので、他人がすることに関しては全然構わないです(恥ずかしいひともいれば、全然そうじゃないひともいる、という違いだけのこと)。いつも楽しい話がしたい。そうとばかりも行かないのが悲しいですが……。
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以前「どうでもいい」と思っていたこと。今でも正直どうでもいいのですが、ついついなにか書きたくなってしまったのでした。わたしには相手をコントロールする術も技も原動力もありませんから、自分にとっての自然の反応しか出来ませんし。家に帰ればオサラバ、でもあるのでまだラクな方なのでしょうね。もちろんDさんにも誠実さ、優しさ、情の深さはある、と感じている。ただ、どうして何かを表現する時に毒をくるむのか、やりきれなさを感じさせるのか、が自分の引っ掛かりなので。見下されているからかな? もう止めよう……。
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午後は同居人さまとふたりで電車に乗ってオオミヤ行き(特に用事はないのですが)でした。まず最初に珈琲とケーキ(笑)。お客が若い女の子ばっかでちょっと場違いなふたり…。しかもスパゲッティまで食べてるし。珈琲とケーキとスパゲッティ、です。外は寒いのにお店や電車の中はちょっと暑くてポッポしてしまいました。
その後ジュンク堂書店に入り(わたしは初めて)タマの欲しがっている小説をやっと発見しました。昨日あんなに探し回って何処にも置いてなかったのにあっさり何冊も置いてありました。取り敢えずゲット。すごく広い本屋さんで(フロアがふたつあって、目の中に本棚や背表紙が入りきれない……)、殆どのジャンルが揃ってしまいそうに思えました。感動。それに引き換え、うちの地元がいかに本屋さんに恵まれていないのか、シミジミ悲しくなる。ここにはわたしが読みたかった本もしっかり置いてあったんですもの。同じ県内なのに(理由にはなりませんが)。オオミヤ人が羨ましいなあ……。ここが地元になったらタダで(今日は往復600円しました)毎日退屈しないで過ごせると思います。暑かったので駅でアイス珈琲をズズーッと飲み干して、買った本を読む楽しみを想い、ウキウキしながら電車に揺られて地元に着いて、同居人さまの定期券と御飯の買い物をして帰宅しました。今夜は甘塩鮭(焼き魚)と鮪の赤身のお刺身(30%割引)と1本98円の大根でおみおつけ、です。
■今日買った本
・ぼやきと怒りのマリア ある編集者への手紙/森茉莉 小島千加子編/筑摩書房
・鴎外の子供たち あとに残されたものの記録/森類/筑摩書房(ちくま文庫)
「ぼやきと...」思いがけず御縁があったのがとっても嬉しい。高かったけど機会を逃さずにゲットです。
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