今日は20日、月の締めの棚卸がある日。3人出(Bさん・Dさん)だったので、もう寿司は作らないことになっているので、揚げ物とお弁当作りはすぐに終わり、最後に冷凍庫内の整理まで終わらしても3時間の早帰り。台風も来ていることだし長居は無用、です。

棚卸の途中(ちょっと困る。まだ途中なのに)Bさんも店長に呼ばれて例のあの話をされたそうです。戻ってきた時、「引き受けちゃったけど、自信無い。出来なかったら辞めるかもしれない」と言ってたのが胸に刺さる。Dさんの空々しい偽善ちっくな慰めが聞いててサムい。(だったらDさんが行きなよ!とまた思ってしまう) 明日からBさんは慣れない精肉部へ行かなきゃならないのだ、と思うと、自分が強情に断ったことがものすごい我儘に感じてどうしようもなく居たたまれなくなる。わたしも「じゃあ辞めます」を切り札にしてしまったから。Bさんは本当だったら全然辞める必要はないのに……(年齢的に再就職は厳しいかも知れない。生活が大変だから無理して頑張っているのでしょう?)。Bさんに同情するなら、じゃあわたしが素直(?)に精肉へ行くことにすればよかったじゃないか、とも言える。どっちにしろわたしも卑怯者なのだ。ただ、気休めのように「平気よ、大丈夫よ、簡単よ、すぐ慣れるわよ」とはとても言えない。まず第一に「自分がそうじゃないから」だ。気休めでもいいから慰める、という行為は、自分がそう思えない、出来ないので、人に対して言う時も抵抗がある。簡単に言ってくる人を(その場では)憎んでしまう。

わたしはコドモ達からも「おかあさん冷たい。優しくない」と何かある時よく言われてしまう。わたしの側からは「どうでもいいからそっけなくする冷たさ」ではなく「慰める、励ます、心地よい言葉を言ってあげる(傲慢)」という行為がうまく作動出来ないのだ(本当に(自分的に)大丈夫な時は別)。本当に辛いだろう時に、自分でも先行き解からないのに嘘の大丈夫、は言えない。それで「冷たい人・そっけない人」の烙印を押されることは(慣れはしないけど)多くに渡ってあることは認める。人がわたしに安心感・暖かみを感じないことも解かる。感覚の違いはそういうところでも現れてしまうのだと思う。

また話が飛びまくっている(汗)。ある意味「黙る」という行為も最大の防禦であり攻撃なのかも……、とふと思う。

*

毎日厭な話ばっかり書いているのも微妙に悲しいけれど、これが今の自分なのだ、と思うとやっぱり嘘の気持ちで奇麗事は書けない。これがわたしの『素直(いかにもオコサマ的感情丸出しの)』な状態だったりするから……。でも、一体どこでなら『オトナになる勉強』が出来るのだろう?

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