ISBN:4907725310 単行本 ニキ リンコ 花風社 2001/09 ¥1,800
2001年10月、勇気を振り絞って成人ADD/ADHD専門クリニックの初診予約を取る為に電話を入れた。当時で、*1年9ヶ月待ちですがそれでも宜しいでしょうか?と言われて、返事をするまで30秒は躊躇してしまった。「今、困っている」 から何とかしたいと、割と切羽詰って思い詰めていたので、約2年という年月はとてつもなく遠く感じた。それでも、どうしても専門医に診てもらいたかったので(ADDという症状を知った上で、可能性を考慮してもらえる上での他の疾患との鑑別が出来ないと意味がないように思えたので)、わたしは1年9ヶ月を待つことに決めた。
今だからそう考えられるのだが、もしかして、そんなに意地にならずとも地元の精神科へ行って症状を改善する薬を出してもらっていても、自分は立ち直れたかもしれない……などと思えてくる。でも。何故だろう、あの頃は 「ADD(であることを)否定される」 のがとても怖くて辛いことだと感じていたし、納得が行かない、傷付けられるような態度を取られでもしたら発狂しそうな苦しみがあったと思う(多分にわたしの偏見や被害妄想も入っていたのだけれども)。「障害名」 に固執していたわけではないけれど、考慮されないかもしれない、というのは診察を受ける意味すら疑うようなイキオイだったのだ。 今はあの頃よりは少しは事情が変わっているかもしれないけれど、それでも医療機関でADDの(それだけじゃなくても)患者に出来ることは限られているんじゃないかと思う。本人の意識と努力次第だったりするのだと……。わたしなんてまだまだ社会性というものが未熟だ。 知った上で 「自分はこうだから……」 という気持ちをいちばんで行動するのがいいのか、無理しても普通に振舞えるようになる可能性を常に考えて行動すればいいのか、良く解かっていない。 ただ、自分的には 「誠実でいる」 ことで得られるものが大事だと思うけど……。
何にせよ、わたしにとっては 「診断された(しかもアスペルガー傾向とLDもあり)」 ことと、薬の恩恵は十分感じられる。
お金さえあればアメリカのエイメンクリニックまで行きたいというイキオイもあったかも……(爆) いえ、もちろんわたしにはどう考えても不可能なことですけど。 英語も喋れないし; 現在日本で保険診療を受けられる自分はかなり幸せなんだ、と言うことも実感しています。
*現在は予約が10年を越えてしまい、一時新患予約をストップ中。
■レビュー■『自分語』覚書
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ADD = 注意欠陥障害、日本ではあまり耳馴染みのない言葉かもしれない。集中力がない、意欲がない、いらいらしやすい、怒りっぽいなどの症状が現われる脳の障害である。しかし、世間では「やる気がない」、「能力が低い」、「ぐうたら」などと誤解されることが多い。また、周囲を巻き込んで多大な迷惑を掛けるケースもあり、人間関係をも難しくする。
彼らが偏見や誤解を受けるのはADDを抱える人たちは外見上、そうでない人たちと何ら変わりはないからである。しかし、ADDの病巣をこの目で確かめることができたら、どうだろうか。著者であるエイメン博士はSPECTと呼ばれる、単光子放射型コンピュータ断層撮影法で、ADDの脳を検査し、実際に目で見て、「ADDは医学的な問題であって、治療が必要なんだ」ということを認知させるのに役立てている。本書では、この撮影法による三次元表面画像がいくつか例として紹介されているが、確かにこれを見れば、誰もが納得するだろう。
ADDには6つのタイプがあり、脳の中で関係している部分がそれぞれ違っていることがわかってきた。基本的には、前前頭皮質という部位の活動が低下しているのだが、そのほかにも側頭葉や、大脳皮質などの活動低下または活動過多が見られる。また、現われる症状もそれぞれに異なる。タイプごとに、実際の患者の症状や治療後の経過などが紹介されているのだが、どれも驚くものばかりである。
たとえば、タイプ1の「典型的ADD」のジョウイー少年は小学校1年生から2年生に上がれず、買い物にも連れて行けないくらい落ちつきがなく、かたときも目が離せない状態であった。しかし、適切な投薬と食事療法により、集中力も増し、落ちついてきたばかりか、数年後には優等生になった。
ADDの人たちは決して、知能が低いわけではない。正しい情報を得、正しい治療を施せば、必ず治る病気なのである。筆者は最後にこう記している。「ADDをかかえる子どもたち、若者たち、大人たち、そしてその親たちには、はっきり伝えなくてはならない。あなたがたの罪ではない。原因はあなたがたではない。希望はある」。(冴木なお)
内容(「BOOK」データベースより)
ADD(注意欠陥障害)は実在の障害なのか?それともただの言い訳なのか?本書の登場で、こんな論争には終止符が打たれる。一万人の脳の画像が語るADDの脳の仕組みと6タイプ別ADD具体的対処法。
2001年10月、勇気を振り絞って成人ADD/ADHD専門クリニックの初診予約を取る為に電話を入れた。当時で、*1年9ヶ月待ちですがそれでも宜しいでしょうか?と言われて、返事をするまで30秒は躊躇してしまった。「今、困っている」 から何とかしたいと、割と切羽詰って思い詰めていたので、約2年という年月はとてつもなく遠く感じた。それでも、どうしても専門医に診てもらいたかったので(ADDという症状を知った上で、可能性を考慮してもらえる上での他の疾患との鑑別が出来ないと意味がないように思えたので)、わたしは1年9ヶ月を待つことに決めた。
今だからそう考えられるのだが、もしかして、そんなに意地にならずとも地元の精神科へ行って症状を改善する薬を出してもらっていても、自分は立ち直れたかもしれない……などと思えてくる。でも。何故だろう、あの頃は 「ADD(であることを)否定される」 のがとても怖くて辛いことだと感じていたし、納得が行かない、傷付けられるような態度を取られでもしたら発狂しそうな苦しみがあったと思う(多分にわたしの偏見や被害妄想も入っていたのだけれども)。「障害名」 に固執していたわけではないけれど、考慮されないかもしれない、というのは診察を受ける意味すら疑うようなイキオイだったのだ。 今はあの頃よりは少しは事情が変わっているかもしれないけれど、それでも医療機関でADDの(それだけじゃなくても)患者に出来ることは限られているんじゃないかと思う。本人の意識と努力次第だったりするのだと……。わたしなんてまだまだ社会性というものが未熟だ。 知った上で 「自分はこうだから……」 という気持ちをいちばんで行動するのがいいのか、無理しても普通に振舞えるようになる可能性を常に考えて行動すればいいのか、良く解かっていない。 ただ、自分的には 「誠実でいる」 ことで得られるものが大事だと思うけど……。
何にせよ、わたしにとっては 「診断された(しかもアスペルガー傾向とLDもあり)」 ことと、薬の恩恵は十分感じられる。
お金さえあればアメリカのエイメンクリニックまで行きたいというイキオイもあったかも……(爆) いえ、もちろんわたしにはどう考えても不可能なことですけど。 英語も喋れないし; 現在日本で保険診療を受けられる自分はかなり幸せなんだ、と言うことも実感しています。
*現在は予約が10年を越えてしまい、一時新患予約をストップ中。
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