自分はPDD-NOSとADD(注意欠陥障害。ADHDの多動性の(目立た)ないタイプ)に加えて算数の学習障害の三つ巴タイプ。
以下、いち当事者の視点からのタワゴトです(長っ!)。あくまでも「わたし」が感じたり思ったりしてきたことなので、全ての当事者には当て嵌まりません。当然の如く、同じ障害を持っていても細かい違いはいっぱいあります。環境によっても状態は変化します。
思いついた端から書き出しているので、前後の脈絡とかもヘンなところがあります。「ただの愚痴じゃん」て思われることもあるかもしれません。感情が書かせているので、そうだろうな、と自分でも思います。
学校時代は、中学以降はひどいイジメとかには特にあいませんでしたが、「自分がどこに所属していいのか(いるべきなのか)」解からず、所属ジプシー状態を繰り返していましたねー。特に人嫌いではなくって、話するのも聞くのも好きだったので、興味を持った相手には懐っこかったと思いますw 一方通行とか勘違い(自分では全然解かってない)、もしくは一歩間違えば虐待(?)のような関係で人振り回したり、振り回されていたようなカンジ。「他人」にのめり込むほどに他のことが出来なくなってきたり。
それから、数学と歴史が(国語・英語・理科・美術・音楽はまあまあ上の方だったけど)自分でも信じられないほど出来なかったので、不本意ながら受験科目に数学が無い学校を受けて、でも自分にはどうしても合わず、通いきれなくなって中退……。
当時は「そういう障害を抱えながら普通学級(知的障害がないから当然普通学級に入りますよね)で苦労している」コドモの存在って殆ど知られてなかったから、特にケアをしてもらえるはずも無く、ただただ「もっと頑張れ、本気を出せ」と叱咤され続け(または、やる気が無いと思われスルー)、そのうち学年が上がれば+人間関係も出てきて、とうとう息切れしてドロップアウト……ってパターン、結構多かったんじゃないかと思う。
もちろん、勉強がある程度出来てちゃんと大学まで行ったって人も多いだろうけど、わたしは出来なかったから。ってゆか、母親がもういっぱいいっぱいだったように思います。父親が家庭を全然顧みないひとだったんで。子育ての負担は全部母親でしたから。
「身内」と感じられるのはかろうじて母親だけで(直接的に世話をしてもらっていたから)、家族の絆とか言うものも殆ど感覚として理解出来ていませんでした。大事にする意味も解からなかったので、まさに「困った子」状態。
これは自分の経験からしか分からなかったけど(後に「当事者」の手記や講談で確信した)、そういう子は「視聴覚・触覚・嗅覚(味覚)」が多少なりとも過敏傾向もあるので、他の人には感じない理由でつらい思いをしている(でも違いが分からないので、みんなも我慢しているから自分も我慢しなければいけないと思っている)ことも多いと思います。でもその理由をうまく表現できなかったりでね。これは「何もせず耐えているだけ」で相当疲れます。
それに、障害に関しての知識がないから自分でも怒られるたび、失敗するたび、挫折するたびに「どうしてなんだろう?」ってワケ解からないのが悔しかった。全部「自分の性格が悪いから」「根性がないから」って考えてた。そう考える以外納得できる理由が無かったっていうか。よく他人のせいにもしてたけど、それを言うと「結局は自分」って諭されちゃうしね。
特に「もう二度としません」「絶対に直します」という「反省」させられる……のがめっちゃつらかったです。だって、今現在どうしても出来ないからそうなってるのに、それを自力で、なんの手立ても無く原因もわからないのにただ改善しろ、と怒られて、そう紙に書かされたり口先で言わされるんですよ? 例え「できっこない…」って思っていても怖くてそうするしかなかった時。そうしないと生活の保障すら確保できない、と感じたとき……。
やっぱりどう考えても「鬱」になります。本当にありがとうございましたw って思うんですよ。守れないことで益々自尊心とか低くなりますしね。「やっぱりダメな自分」の確証を強くするだけで。
当時は誰も「知らなかった」から。でも知ってたとして、診断されてたとして親がそれに堪えられて現実を見れたか? っていうのもありますしね。当時ですから。周囲が理解してくれたか、とか。これは今でもそんなに変わらないのでしょうか……。
「自分の性格が(努力が足りないのが・克服できないのが)悪いから」……この考えは今も意識改革が必要なくらい「長年のクセ」になってなかなか抜け出せていません。何もかも「障害」のせいにしてはいけない、と思っているし、そう思うと自分の出来なくても仕方ないこと、特性上不得手なことと自分の人間性がごっちゃになって、現在でもわたしを悩ませています。これもすでに「自閉的」な感覚なのかもしれない、と思うのは、そんなことより「どんな理由だろうと、まず他人を不快にしないことを優先」って言うのが抜けてたり(爆)。基本的に「人の期待や要求に応えたい」欲求がかなり強いので、出来ないことがストレスになりやすいです。
いちばん「こうだったら良かった」と思うのは、常に選択肢があって、どっちを選んでも否定されずにいられること(批判は仕方ないけどね)、それがちゃんと分かりやすく見えることかもしれません。自分に合う、と分かるまで何度でも「変更する」チャンスをもらえること。難しいかも知れませんが。
くだらない例で言えば、「全自動乾燥機付き洗濯機をちょっと経済的負担が大きいけど購入してその分ラクになるか」「手動の二層式洗濯機を使ってその分節約に励むか」でもいいです。どっちを選んでも心に負担がこなければいい、と思います(わたしはまだどっちも負担が大きいw)。
いろいろあったけど(今もあるけど)、わたしは少しずつ変わったり頑固に変わらなかったりしてこうして喜怒哀楽を持ちながら家族と暮らしています。
以下、いち当事者の視点からのタワゴトです(長っ!)。あくまでも「わたし」が感じたり思ったりしてきたことなので、全ての当事者には当て嵌まりません。当然の如く、同じ障害を持っていても細かい違いはいっぱいあります。環境によっても状態は変化します。
思いついた端から書き出しているので、前後の脈絡とかもヘンなところがあります。「ただの愚痴じゃん」て思われることもあるかもしれません。感情が書かせているので、そうだろうな、と自分でも思います。
学校時代は、中学以降はひどいイジメとかには特にあいませんでしたが、「自分がどこに所属していいのか(いるべきなのか)」解からず、所属ジプシー状態を繰り返していましたねー。特に人嫌いではなくって、話するのも聞くのも好きだったので、興味を持った相手には懐っこかったと思いますw 一方通行とか勘違い(自分では全然解かってない)、もしくは一歩間違えば虐待(?)のような関係で人振り回したり、振り回されていたようなカンジ。「他人」にのめり込むほどに他のことが出来なくなってきたり。
それから、数学と歴史が(国語・英語・理科・美術・音楽はまあまあ上の方だったけど)自分でも信じられないほど出来なかったので、不本意ながら受験科目に数学が無い学校を受けて、でも自分にはどうしても合わず、通いきれなくなって中退……。
当時は「そういう障害を抱えながら普通学級(知的障害がないから当然普通学級に入りますよね)で苦労している」コドモの存在って殆ど知られてなかったから、特にケアをしてもらえるはずも無く、ただただ「もっと頑張れ、本気を出せ」と叱咤され続け(または、やる気が無いと思われスルー)、そのうち学年が上がれば+人間関係も出てきて、とうとう息切れしてドロップアウト……ってパターン、結構多かったんじゃないかと思う。
もちろん、勉強がある程度出来てちゃんと大学まで行ったって人も多いだろうけど、わたしは出来なかったから。ってゆか、母親がもういっぱいいっぱいだったように思います。父親が家庭を全然顧みないひとだったんで。子育ての負担は全部母親でしたから。
「身内」と感じられるのはかろうじて母親だけで(直接的に世話をしてもらっていたから)、家族の絆とか言うものも殆ど感覚として理解出来ていませんでした。大事にする意味も解からなかったので、まさに「困った子」状態。
これは自分の経験からしか分からなかったけど(後に「当事者」の手記や講談で確信した)、そういう子は「視聴覚・触覚・嗅覚(味覚)」が多少なりとも過敏傾向もあるので、他の人には感じない理由でつらい思いをしている(でも違いが分からないので、みんなも我慢しているから自分も我慢しなければいけないと思っている)ことも多いと思います。でもその理由をうまく表現できなかったりでね。これは「何もせず耐えているだけ」で相当疲れます。
それに、障害に関しての知識がないから自分でも怒られるたび、失敗するたび、挫折するたびに「どうしてなんだろう?」ってワケ解からないのが悔しかった。全部「自分の性格が悪いから」「根性がないから」って考えてた。そう考える以外納得できる理由が無かったっていうか。よく他人のせいにもしてたけど、それを言うと「結局は自分」って諭されちゃうしね。
特に「もう二度としません」「絶対に直します」という「反省」させられる……のがめっちゃつらかったです。だって、今現在どうしても出来ないからそうなってるのに、それを自力で、なんの手立ても無く原因もわからないのにただ改善しろ、と怒られて、そう紙に書かされたり口先で言わされるんですよ? 例え「できっこない…」って思っていても怖くてそうするしかなかった時。そうしないと生活の保障すら確保できない、と感じたとき……。
やっぱりどう考えても「鬱」になります。本当にありがとうございましたw って思うんですよ。守れないことで益々自尊心とか低くなりますしね。「やっぱりダメな自分」の確証を強くするだけで。
当時は誰も「知らなかった」から。でも知ってたとして、診断されてたとして親がそれに堪えられて現実を見れたか? っていうのもありますしね。当時ですから。周囲が理解してくれたか、とか。これは今でもそんなに変わらないのでしょうか……。
「自分の性格が(努力が足りないのが・克服できないのが)悪いから」……この考えは今も意識改革が必要なくらい「長年のクセ」になってなかなか抜け出せていません。何もかも「障害」のせいにしてはいけない、と思っているし、そう思うと自分の出来なくても仕方ないこと、特性上不得手なことと自分の人間性がごっちゃになって、現在でもわたしを悩ませています。これもすでに「自閉的」な感覚なのかもしれない、と思うのは、そんなことより「どんな理由だろうと、まず他人を不快にしないことを優先」って言うのが抜けてたり(爆)。基本的に「人の期待や要求に応えたい」欲求がかなり強いので、出来ないことがストレスになりやすいです。
いちばん「こうだったら良かった」と思うのは、常に選択肢があって、どっちを選んでも否定されずにいられること(批判は仕方ないけどね)、それがちゃんと分かりやすく見えることかもしれません。自分に合う、と分かるまで何度でも「変更する」チャンスをもらえること。難しいかも知れませんが。
くだらない例で言えば、「全自動乾燥機付き洗濯機をちょっと経済的負担が大きいけど購入してその分ラクになるか」「手動の二層式洗濯機を使ってその分節約に励むか」でもいいです。どっちを選んでも心に負担がこなければいい、と思います(わたしはまだどっちも負担が大きいw)。
いろいろあったけど(今もあるけど)、わたしは少しずつ変わったり頑固に変わらなかったりしてこうして喜怒哀楽を持ちながら家族と暮らしています。
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