今あちこちで「ブログ炎上」になっているという「子猫殺し」のお話。わたしも読ませていただきました。

 わたしは同居人さまと出会った頃から、今から40〜年前の北海道でまだ小さかった同居人さまが「そういう出来事」をたまに見掛けていた、という話を聞いていました。そりゃ最初に聞いたときはギョっとしましたが、昔の、まだ野良犬がその辺にいっぱいいて、飼い犬さえも普通に外を一匹歩きしていて当たり前だった時代の話でしたので、そういうこともアリだったのかな……、今じゃコドモの前で大っぴらにする話じゃないけど、自分で手を下すなんてコワイな〜、と思いました(もちろん直接手を下したのは当時の「オトナ」です)。

 それはまだ現在より動物の命の考え方がずっとずっと低かった故のこと、今はどんな地方の田舎でも「啓蒙」されて常識として行き渡っていることなのではないか、と勝手にも思っていましたが……。

 うーん……なんとも重いです。

 実はウチのネコも避妊手術はいたしておりません。ただ、絶対外には出さない、他の個体との接触もさせない、完全室内飼いとしての生活を飼い主である自分たちが選んで、それをネコに強いているわけです。それが彼女の「しあわせ」かどうかも自分たちには判断できません。ネコと暮らせる自分たちの幸せを優先している以外のなんでもないと思っています。自分たちはネコにしてみたらとても勝手な傲慢なイキモノなんじゃないかと、それは常々感じています。

 生まれてきた子猫を殺す……、考えただけでもすごいストレスなんですが、それも最初のうちだけで、何度も同じことを繰り返して、それを無理にでも正当化しているうちにだんだん感覚が麻痺していく……ってこともあるんでしょうか?(例えば、ニンゲンの♀だとしても、最初の妊娠を中絶して、その後も妊娠するたび何度も堕胎を繰り返す人、とかも同じ?、とか)

 疑問形にしちゃったけど、わたし自身では「ある」と思っています。そうしないととても生きていけないから。正しいとか間違ってるとかじゃなく……ニンゲンは弱くて強いから。自分を必死で守ろうとするチカラが。

 ただ、自分の中だけで正当化できれば、それで自己防衛が出来るような気がするんじゃないのでしょうか。
 責められたら「あんただって○○だ、わたしを責める権利があると思ってるの?」って開き直っていいような気がするんじゃないだろうか。自分が許せない何かと闘いたいように見える……。
 わたしだって、そういうことを知らず知らずにやってきながらここまで生きてきたんじゃないか? と言われたら違いますとは言えない……。

 すげーまとまり無くて思い付きのみで感情的な文ですみません。

 わたしの感覚がヘンなのでしょうが、怒りよりも後味の悪さ・気持ち悪さ・ずーんと重い……をやや強く感じた話です。

 酷い話ですが、まず最初にネコには感情移入できなかったわたしも酷い人だと思います。どっちにしてもやっぱり「手を下す側」なんだ、ということが重い。。。

 この話、もちろん全然肯定できませんが、「自分を棚に上げて」モノを言うコトもできませんでした。自分は絶対違う!と言えるほどマトモで立派じゃないです、わたしは(殺しをした、という意味じゃなくて、ただいろいろ)。

 ちなみにタマは「精神異常者なんじゃない?」と言ってのけた。なんていうか、潔くて気持ちよいくらい(苦笑)。 

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