もうすぐ...
2007年7月23日 身体・健康・メンタル コメント (2) 今は思い切り「自分語」で書き綴るので、話はずれるし飛ぶし、ワケワカになると思います。ご勘弁を。
某クリニックで初診を受けて、「発達障害」を診断されてから丸4年になります。
それ以前だって、子供時代からずーっと諸症状はあったし(NET上で病名を知って病院を探して関連書もいろいろ読んで、さんざん躊躇した末予約を入れてから初診まで1年9ヶ月待った!)、当時のちょうど1年前から診察に漕ぎ着けるまでの間(わたしでさえ)もう死にたい、死んでもいいんだ、構わないんだ的な思考に蝕まれて、素の自分じゃ絶対にどこにいようと何をしようと何からも認められない(と思い込む)辛さに喘いでいたことを思い出しました。特に「衝動性」が強く出てしまうことがしんどかった。
で、今も最初の数ヶ月で決まった処方薬でずーっとやってきています。薬はわたしの苦痛に感じる諸症状を随分と和らげてくれる上に、マイナス思考を引きずらないようにもしてくれます。
ほんの少しだけある薬に耐性が出来てしまったのですが、量は増やさずにコントロール出来ています。それは身体の変調・痛み(?)に「恐怖心」が大きいせい。母親と、その双子の叔母が脳の血管ぷっつんにもなっているので、それも歯止めになっているのでしょう。まあそれはあまり関係ない話ですが。
ハッキリ言って、先天性の脳機能障害なのでいくら薬を飲んで症状を緩和させてはいても一生治癒することはありません。今でも当時と環境・状況が少しだけ違ってきたこと以外は、自分がいつ揺り戻されかねないかの不安はあります。
わたしは特に「前向きに生きよう」などとは思っていません。出来ないことはどうしたって非障害者の方々のようには出来ないのだから、出来ないことを(なるべく)責めない、しなくて許される範囲のことは思い切って切り捨てる、そして内心を隠してそれを「当然のように振舞う」ことにしてしまいました。ニンゲンは自力で空を飛べないのは当然でしょ? とすっとぼけてしまうのです。そうすればほんの少しばかりだけど、他人も許せるように(対称性として)なれるような気がします。診断されて治療を受けるようになって一番変わったのは「怒りの感情」が涌きにくくなったことです。いや全然怒らないわけではありませんが、比較するとわたしの性格から「怒りんぼ」は薄くなってきたということですね。
症状の重さにもいろいろあるので一概には言えませんが、わたしは(自分に関して)特に理解も求めなくなりました。むしろ簡単に理解される(してると勘違いされる)のが嫌かも。そう出来る人に軽く嫉妬です(爆)。
「もう、しょーがないな!」って思われて、それでも大事にし合って繋がっていられることはむしろ嬉しいです。「能力のあるわたし」じゃなくても受け入れられているってことかもしれないので。自分が恥ずかしいこともあるけど。これもまた「幸せな勘違い」なのかも知れませんけどね(笑)。
やっぱり何を言いたいのか自分でもわからなくなってしまった……。
某クリニックで初診を受けて、「発達障害」を診断されてから丸4年になります。
それ以前だって、子供時代からずーっと諸症状はあったし(NET上で病名を知って病院を探して関連書もいろいろ読んで、さんざん躊躇した末予約を入れてから初診まで1年9ヶ月待った!)、当時のちょうど1年前から診察に漕ぎ着けるまでの間(わたしでさえ)もう死にたい、死んでもいいんだ、構わないんだ的な思考に蝕まれて、素の自分じゃ絶対にどこにいようと何をしようと何からも認められない(と思い込む)辛さに喘いでいたことを思い出しました。特に「衝動性」が強く出てしまうことがしんどかった。
で、今も最初の数ヶ月で決まった処方薬でずーっとやってきています。薬はわたしの苦痛に感じる諸症状を随分と和らげてくれる上に、マイナス思考を引きずらないようにもしてくれます。
ほんの少しだけある薬に耐性が出来てしまったのですが、量は増やさずにコントロール出来ています。それは身体の変調・痛み(?)に「恐怖心」が大きいせい。母親と、その双子の叔母が脳の血管ぷっつんにもなっているので、それも歯止めになっているのでしょう。まあそれはあまり関係ない話ですが。
ハッキリ言って、先天性の脳機能障害なのでいくら薬を飲んで症状を緩和させてはいても一生治癒することはありません。今でも当時と環境・状況が少しだけ違ってきたこと以外は、自分がいつ揺り戻されかねないかの不安はあります。
わたしは特に「前向きに生きよう」などとは思っていません。出来ないことはどうしたって非障害者の方々のようには出来ないのだから、出来ないことを(なるべく)責めない、しなくて許される範囲のことは思い切って切り捨てる、そして内心を隠してそれを「当然のように振舞う」ことにしてしまいました。ニンゲンは自力で空を飛べないのは当然でしょ? とすっとぼけてしまうのです。そうすればほんの少しばかりだけど、他人も許せるように(対称性として)なれるような気がします。診断されて治療を受けるようになって一番変わったのは「怒りの感情」が涌きにくくなったことです。いや全然怒らないわけではありませんが、比較するとわたしの性格から「怒りんぼ」は薄くなってきたということですね。
症状の重さにもいろいろあるので一概には言えませんが、わたしは(自分に関して)特に理解も求めなくなりました。むしろ簡単に理解される(してると勘違いされる)のが嫌かも。そう出来る人に軽く嫉妬です(爆)。
「もう、しょーがないな!」って思われて、それでも大事にし合って繋がっていられることはむしろ嬉しいです。「能力のあるわたし」じゃなくても受け入れられているってことかもしれないので。自分が恥ずかしいこともあるけど。これもまた「幸せな勘違い」なのかも知れませんけどね(笑)。
やっぱり何を言いたいのか自分でもわからなくなってしまった……。
コメント
(まぁ、もっとも此方側でのお付き合いしかないので言い切れるだけの事かもしれませんが)
私が「嘘吐き」を自嘲するのも、その辺りに近い所かもしれません...で、私の場合はリアルでは「怒っている様に振舞う事」もギャラの範疇なので、持ち時間中に終わってくれれば良いのですが、それを越えると反動で言葉が喋れなくなってしまいます(^_^;)
怒れないこと(怒りの感情が鈍くなっていること)は、円満な対人関係(特に利害は関係ない場合)にはよろしいことなんでしょうが、そう振舞うことを必要とされる場面では全く役立たずだったりします。
わたしは今のところ「そういうことを要求されない人」として見られているようなので甘んじてしまいますが。
感情はともかく、振る舞いのコントロールは自力ではまだまだ難しいです…。