どちらとも受け取れるなら
2014年2月1日 人間関係 コメント (3) 自分にとって注意というか警告というか、厳しく感じるほうを受け取ろう。
わたしは自分にあんまり厳しくない。それとのバランス?ということではないのだろうけれど、ずっと他人にもほとんど厳しくない人だとも思っていた。「厳しい」などと言われたことは今まで一度もなかった。
だけど、自分がそうだからって他人もそうだとは限らない。快不快のツボも全然違うかもしれないし、そういう大事なことを忘れそうになっていた。
遣り取りも関係性も相手がいてこそのこと。相手の思いを汲み取れず、自分だけ楽しい気分が良いのは相手にとっても不快だろうが、そう気付いた時点でわたしも相手を不快にさせたことですでに楽しくなくなっている。結果双方でマイナスにしかならない。
人はたとえ自分が嫌な感じを受けてもそのことを相手にはっきり指摘することを躊躇してしまうことのが多いだろう。できれば察してほしい、言いづらいこと言わせるな、って思うだろう。そういうことを続けていたらリアルでは実際に距離を置かれるだろうし、ネットでは? 距離感が解らなかったら? わたしはそういう察し合いが下手なので、最初から自分自身の許容範囲よりかなり厳し目に見積もった言動を心掛けたほうがいいかもしれない。かもしれない、じゃなくてそうしたほうがいい。
たとえ相手に悪気なんてこれっぽっちもなかったことでも自分だって勝手に不快になることがあるんだから、わたしももうかなりそういうことをしてきてしまっているだろう。
「あなたとはやっぱり合わない」って、言われるのは悲しいけど、自分だって言ってきたこと。相手にもそういう権利が、って言い方はちょっと固いかな、そういう自由があることを認めなくちゃね。
できるだけ冷静になって書いています。自虐じゃないですよ。びくびく臆病ではいたくない。
それから「わたしのほうが相手を不快にさせていた(かもしれない、そんな気がする)」ことが前提の話です。文章で伝えるのって難しい…。でも書くことは好き。ヘタの横好き。
わたしは自分にあんまり厳しくない。それとのバランス?ということではないのだろうけれど、ずっと他人にもほとんど厳しくない人だとも思っていた。「厳しい」などと言われたことは今まで一度もなかった。
だけど、自分がそうだからって他人もそうだとは限らない。快不快のツボも全然違うかもしれないし、そういう大事なことを忘れそうになっていた。
遣り取りも関係性も相手がいてこそのこと。相手の思いを汲み取れず、自分だけ楽しい気分が良いのは相手にとっても不快だろうが、そう気付いた時点でわたしも相手を不快にさせたことですでに楽しくなくなっている。結果双方でマイナスにしかならない。
人はたとえ自分が嫌な感じを受けてもそのことを相手にはっきり指摘することを躊躇してしまうことのが多いだろう。できれば察してほしい、言いづらいこと言わせるな、って思うだろう。そういうことを続けていたらリアルでは実際に距離を置かれるだろうし、ネットでは? 距離感が解らなかったら? わたしはそういう察し合いが下手なので、最初から自分自身の許容範囲よりかなり厳し目に見積もった言動を心掛けたほうがいいかもしれない。かもしれない、じゃなくてそうしたほうがいい。
たとえ相手に悪気なんてこれっぽっちもなかったことでも自分だって勝手に不快になることがあるんだから、わたしももうかなりそういうことをしてきてしまっているだろう。
「あなたとはやっぱり合わない」って、言われるのは悲しいけど、自分だって言ってきたこと。相手にもそういう権利が、って言い方はちょっと固いかな、そういう自由があることを認めなくちゃね。
できるだけ冷静になって書いています。自虐じゃないですよ。びくびく臆病ではいたくない。
それから「わたしのほうが相手を不快にさせていた(かもしれない、そんな気がする)」ことが前提の話です。文章で伝えるのって難しい…。でも書くことは好き。ヘタの横好き。
コメント
ひとえにこれだと思います。
実際に会って話しても、よく誤解があるのに、
文章ではさらに雰囲気や表情や言葉のイントネーションなど、無い部分って多いですよね。
その分は読んだ側の捉え方次第になるかと思いますので
私は出来るだけマイナスに受け止めないようにしています。
そしてもしマイナスや攻撃的な文章をもらっても、
たった1コメントや、数回のやりとりだけで
その人を判断してしまうというのも何やら勿体ない。
ものすごく共感しました!!と言うのも、まさに私も「あれ…?」と人との距離感に疑問と言うかなんというかの感情を持ったばかりだった故に。
「私…友達じゃないのかな…」と結構傷つきました。けれどやっぱり私も人に対してそんな態度を取っていたのかな…とも。
その人の一面だけでなく多面で見るように心がけたいものです。
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
文章って、ロスGさんが言われたこともその通りですが、同じ一つの文が差し込まれた位置とか、読点などを打つ場所の違いでも伝えたいことの逆に受け取れたりすることもあるのでそれも怖いな、って思います。
文末に「!」とか「w」とか付いているだけで何か深読みをしたりされたりすることも時にはあるかもしれないですしね。
書く方はただ何気なくその時のフィーリング、で、読む方がとにかく何にでも意味を突きつめてしまう、の組み合わせだと「通じ合う」ことの相性は良くないかもしれません。
↑これも、わたしが勝手に考えてそう書いているだけです。実際はそんな極端な思考(行動)に縛られている人は少ないでしょうね。
読んだ側の捉え方次第、というのはその通りですね。
わたしもなるべくマイナスに受け取らないようにしたいです。
実際、相手とのコミュニケーションの意欲があって文章を書くのですから、わざわざマイナスに受け取られたいという気持ちで書く人もいない、と、そのあたりは自分の考えに自信持っても大丈夫かな、って思い直せました。
今回ロスGさんともこうやって意見交換ができて嬉しかったです。
どうもありがとうございます!
>涼女さん
共感してくださってありがとうございます!
わたしの場合は「AD/HD(注意欠陥多動性障害)」があるので、同じ年代の定型の人達より余計に「距離感・時間の感覚・方向感覚・皮膚感覚での快不快」がずれている恐れがあります。
ふざけているつもりがなくてもそう取られてしまうことも多々ありました。
それで今まで「相手が不快になったら否は必ずわたしのほう」みたいなビクビク状態で生きてきましたが、それで必ず人間関係が上手くいっていたわけでもないのです(しょぼん;
本当は、できるだけ相手を非難したり傷つけようとせずに、でも言いたいことははっきり言う、という関係が持てたらいちばんいいのですけどね。
わたしも人を多面的に見られるようになりたいです。