家族の食卓
2014年2月7日 言葉と感情と思考・嗜好・志向 家で同じテーブルを囲んでそれぞれ自分の食べたいものを別々に食べるのってどうなんだろう? 「同じ食卓を囲む」というのは、全員同じものを一緒に食べるからこそ意味があるものなのだろうか? 食べることは自分の生命を維持するため。だけど、人間は絶対それ以外それ以上のことを求めて食べている。
「好き嫌いを許さない」のはなんのため? 「感謝の気持ち」なんて、本当に自分が喜びを戴けたからこそ湧き上がるものではないのか? 嫌なことを強制されてある意味「暴力」でさえあってそんなものを受け続ける先に起こる自然な感情は「恨み憎しみ」ではないのか。無意識下に支配・被支配の関係が見えてしまう。それが全て悪いというのではなく。ただ本当はいくつもあるはずなのに提示されない選択肢のことを思う。
深い考えはなく思い付きで書いてしまいました。多分どんな意見をもらってもわたしはほとんどのことに納得すると思います。
「好き嫌いを許さない」のはなんのため? 「感謝の気持ち」なんて、本当に自分が喜びを戴けたからこそ湧き上がるものではないのか? 嫌なことを強制されてある意味「暴力」でさえあってそんなものを受け続ける先に起こる自然な感情は「恨み憎しみ」ではないのか。無意識下に支配・被支配の関係が見えてしまう。それが全て悪いというのではなく。ただ本当はいくつもあるはずなのに提示されない選択肢のことを思う。
深い考えはなく思い付きで書いてしまいました。多分どんな意見をもらってもわたしはほとんどのことに納得すると思います。
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