人のブログを読んでいると本当にそう感じる。自分も含めてね。誰ひとり同じ人生を歩いている人はいないんだものね。人の数だけ物語があるなんて、当たり前のようで凄いことだと思う。



 感謝について、わたしはどうしても「自分が助けられている」「自分が素晴らしいものを戴いている」という「自分」の喜びが前提だと感じてしまいます。客観的に見たら損してるんじゃない? 利用されているんじゃない?(分かり易い例でいえば『お金と時間』に関して)ってことでも、それを差し出す「自分が善かれ」なら、自分にとっては「損」じゃないんですよ。むしろ良い思いをさせてもらっているからこその代償ってことで辻褄が合うんです。
 もちろん無償のもの(森羅万象・事象・人の心etc…)だってたくさんありますよね。それには少なからず「感謝せずにはいられない気持ち」を考える間もなく抱くことでしょう。「自分」が、大切な人達が恩恵を受けているのですから。

 言葉でも肉体的なことでもいいですが、自分が酷い暴力(苦痛)を受け続けていたら、そしてその相手と自分自身の力で離れることができない場合、どうやって自分に対してそういうことをする相手に感謝できましょうか?「我慢強い、打たれ強いわたしを創ってくれてありがとう」?「暴力のない世界の有難さに気付かせてくれてありがとう」? いや、ヘタすると肝心の自分が死んじゃうかもしれませんから。そういうことにじっと耐えていたらね。だからわたしにとってはやっぱりなんか違う。そういうことをする人とは悲しいけど関わり続けちゃいけないんです。

 すごい極端なことを考えるのはわたしの癖ですね。「そういうことじゃないんだよ!」と言われてしまうでしょうか。


 先週買ってきたお菓子(箱入りのフロランタン♪)の存在を今まですっかり忘れていて、今日別のものを探していたら偶然見つけた。そんなことが「今日のちっさいうれしかったこと」。

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