玄関のドア越しに『みーやん』がみゃーみゃー鳴いているのが聞こえたから、ドアを開けて外に出た。

 「よく来たねえ」としゃがんで頭を撫でたら右の頬をぺろん、と舐められた! 家の猫でさえめったにそんなことしてくれないのに、どんだけ懐っこい子なの!(笑)かなり感激。

 みーやんは元飼い猫だったのかな。もしかして今も飼い主がいるんじゃないだろうか、とも考える。野良猫だったらここまで人間を警戒しないでいることはみーやんにとってリスクにならないだろうか。

 だけど時々よそよそしくなる日もあって、そんな時は「おいで」と言っても近付いてこない。「ちゃんと飼ってくれるわけでもないのに気まぐれで可愛がったりしないで!」と抗議をされているような気持ちになる。それはわたしの中の罪悪感がそう思わせているのだろう。

 今まで家の周りでは何匹もの猫達がいつの間にか現れて、しばらくの間居ついてはいつの間にかいなくなっていった。初めて新しい猫に会う時は大抵子猫か若猫の時代だ。大人になるとどこかへ行ってしまう。
 そうやって別れていった歴代の猫達の姿形を思い出す。勝手に名前まで付けていた。白猫の『もち(いつも玄関先でもっちり座っていたから)』、茶猫の兄弟『チビーズ兄者と弟者』、黒猫の『クロ(そのまんま笑)』、白黒ハチワレで前歯の無かった『ハチ』……。今頃どうしているだろうか。


 すごい勝手な話だけど、わたしは町に野良猫が一匹もいないような社会になるのはなんか嫌だ。そういうのはなんか違うと感じてしまう。「不幸な猫」は増やしたくないのだけど、野良猫や町の猫だって、生きていればそれなりに幸せを感じたりすることだってあるんじゃないだろうか。
 猫を擬人化して自己投影しても仕方ないのは分かっているけど……。

 猫がもし「不幸」になるんだとしたら、それは全部ニンゲンがそうしているのに他ならないのだから。

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