AD/HDの和訳「注意欠陥多動性障害」が改訂で「注意欠如多動症」に変わった(変わる?)そうですね。あと、アスペルガー症候群や広汎性発達障害などの名称も無くなってすべて「自閉スペクトラム症」になるとか。


 当事者としては正直、名称を変えたからなんだっていうんだろうと思うし、障害っていう字を遣わなくたって障害であるものは障害じゃなくならないでしょ?って思うんですけどね。「イメージ」の問題なのかしら?


 以前、ADD(多動のないタイプ)という名称も無くなって、すべてAD/HD(に「不注意優勢型」と付けられる)に統一された時も、慣れ親しんだ名前を勝手に変えられてなんか腑に落ちなかったことを思い出す。


 追記。

 http://webronza.asahi.com/synodos/2013061100001.html

 この記述によると、DSMでは改訂後も「障害」という言葉を必ず使用するようですね。そういう決まりになっている。

 じゃあ「患者さん(とその親)」に説明する用の便宜上の病名ってことなんですかね?やっぱり。

 わたしのようなもう診断後10年は経っている者にはそこまでピンとこないけど、これから新たに診断される場合には多少なりとも「障害」と言われるショックを和らげる効果を狙ってのことでしょうか(幼いお子さんなら特に親御さんへの)。

 でも自分で勉強していくといずれは分かってしまうことだと思うんですけどね…。



 でもって、本当は冒頭に書いたことってわたしが勝手に思い込んでいただけでちゃんとソースがあったのかしら? どこかで読んだはずなんだけど…? と心細くなったので記憶を頼って元記事探してきた。↓

 http://mainichi.jp/select/news/20140529k0000e040241000c.html


 どうやらわたしの中でDSM-5への改訂と日本精神神経学会の指針がごっちゃになってしまっていたようでした。

コメント

nophoto
城崎レイ
2014年6月3日11:46

病名/障害名を変えることの意義といえば、たとえば精神分裂病が統合失調症と改称されたように「字面がひとり歩きをしてしまい、病気の本質が正しく理解されなくなった(精神が分裂=人格が崩壊して凶行に至るという誤解は実際にあった)」と「その病名/障害名を使われることにより、当事者がショックを受ける」という理由が主でしょう。

そもそも、人間を含めた生物の精神的/身体的な特徴を指して「障害」というのが誤りなんですよね。もともとは「障碍」(差し障りと碍げ)と書いていたものの、「碍」が常用漢字でなくなったため、同じ音である「害」としただけに過ぎません。「障害」を「障碍」と表記するだけでも、「障害者」とされる当事者は楽になると思います。

「障害」というのは絶対的なものではなく「すべての人類のうち少数派である人たちを十把一絡げにして、医師という偉い人が定義し、名づけたもの」です。たかだか医学という一つの学問の中だけの定義です。私たちは、私たちのまま生きましょう。

TAWAMI
2014年6月3日13:08

>レイさん

コメントありがとうございます。
「精神分裂病」という名称は、実際の病状を的確に表す病名ではなかったのですよね。「自閉症」も、別に心を閉ざしても自分の殻に引きこもっているわけでもないので、誤解を生みやすい病名だと感じます。

そもそも人間を「ここからここまで」とハッキリ線引をして「健常」と「障害」を分けることは本来不可能なような気もします。誰でも多少なりとも凸凹な部分を持っているからです。人間って本当にバラエティ豊かですよね。

ひみつ日記にも書いたのですが(レイさんには読めなくて申し訳ありません;)、治療者は診断名を決めてカテゴリ分けをするだけではなく、当事者本人がいちばん困っていることから手を付けて行かなくてはいけないと思うし、そういうケアを受けるための「診断」であってほしいし、症状(のあるその人全体)をしっかり診てほしいし、そういう諸々がしっかりなされた上でショックを与えない気配りのための病名の変更ならわたしも納得がいきますね。
ただの言葉狩り的「名前をマイルドにしたからいいだろう」なら、ちょっとう~~んですが…。
病名がいくら変わってもわたし達の本質は変わりませんよね。これまでもこれからも社会の中で生きていますよね。

なんだかまとまりがなくてすみません。

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