自由
2014年9月14日 言葉と感情と思考・嗜好・志向 身体的精神的に雁字搦めに拘束される不自由は嫌だけど、まったくの自由に放り出されるのも怖いのです。特にわたしのようなAD/HD的ニンゲンは、枠内の制約があってこそやっとまともに呼吸をして生きていけるのです。ありのままに自然にしていたら危険がいっぱいのこの世界で命を落とさずにやってはいけない。本当の意味で自律して自立している大人にはこの歳になった今でも成れていない。肉親ではなくとも、もっと大きい意味での「親的」なものにいつでも拠り所を求めている。頭ではどれだけ自分で考えて答えを出そうとしていても、行動自体がいつだって伴わない。流れに乗っているつもりで、いつも止まったり振り返ったりしている。守りたいものはいつだって自分の周りの小さな小さな円の中にだけ。それよりも大きなものにいつだって守られていないと自分自身が自分の意志で生きて行くことができない。自分が何者であるか、生まれた時から大方のことはもう決まっていた。そこからはみ出しては生存できないとても小さくて弱い存在なのだ。心は自由だとしても、それは自分の今まで知りえた世界からの想像の中での小さな自由でしかない。ましてや行動なんて。
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