譲ってばかりいると不満が溜まって、じゃあもう気にしない!と自分も前へ出ると、今度は別の誰かに無理に譲らせたことでそれも居心地悪い。自分が「譲るキャラ」に収まっていれば、おとなしくじっと待っていれば、いつかは順番が回ってくることもあるのに、待てなかった自分のせいでまたいろんなことが嫌になってしまう。いつか、なんてわからないから焦ってしまう。いつか、は多分あったと思う。
でしゃばりたい気持ちあって(わたしもやりたいの、みてほしいの!)、気持ちだけで結局それがなんなの?で続きが無い。気持ちだけで実がない。なんのためとかない。わたしがやりたかっただけだから。それ以上言うことも無い。
誰かと「被る」と嫌だった。後から被されるのはもっと嫌だった。時間経ってそれはたまたま偶然好みが同じってこともあるし、いちいち気に障るのもなんか偏狭かなと思い、わたしも譲らなかった。
あとになって自分と同じ気持ちになっていやしないか、とかまた気にする。
「やらなければ」「言わなければ」なにも悩むことは無い。でも死にそうに不満が溜まってしまう。やりたいことやればいいじゃん、って囁きに負ける。そして引き受けることの重さに辟易する。重い、と感じるのはやったことに対してわたしという人間がカミクズほどに軽いからだと知る。なにしてたんだろうな。
でしゃばりたい気持ちあって(わたしもやりたいの、みてほしいの!)、気持ちだけで結局それがなんなの?で続きが無い。気持ちだけで実がない。なんのためとかない。わたしがやりたかっただけだから。それ以上言うことも無い。
誰かと「被る」と嫌だった。後から被されるのはもっと嫌だった。時間経ってそれはたまたま偶然好みが同じってこともあるし、いちいち気に障るのもなんか偏狭かなと思い、わたしも譲らなかった。
あとになって自分と同じ気持ちになっていやしないか、とかまた気にする。
「やらなければ」「言わなければ」なにも悩むことは無い。でも死にそうに不満が溜まってしまう。やりたいことやればいいじゃん、って囁きに負ける。そして引き受けることの重さに辟易する。重い、と感じるのはやったことに対してわたしという人間がカミクズほどに軽いからだと知る。なにしてたんだろうな。
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