無題

2004年3月12日 人間関係
■自分語モード

自分の甘さと至らなさと無知さをまた実感した。そうしたら、少し気が楽になった。そんな状態でも平気で生きていける自分、という環境に恵まれていることとか、わたしに過剰な負担を掛けないように気遣ってくれる家族、とか、落ち着いて考えたり話したりできる時間がある、とか…。無理に悩まなくてもいいのだということ。そこは楽になった。でも、ファーストステップをクリア出来たら、更に高いものを目指してしまうのも人間だ、とも思う。いつもそこで躓きを感じる。狭い世界でしか生きていないから、視野も狭くなっていること。世界を広げることの恐怖と混乱。どのくらいが自分にとっての「ほんの少しのこと」で、どこまで行けばが「ギリギリ」なのか分からない。だからって人が教えられるものでもないのではとも思う。当たり前なひとには当たり前で、大変なひとには大変なのだろうと思うから。飛び越えたくても落ちる恐怖にまだ打ち勝てないままでいる。

眠ってしまうことに罪悪感を感じるのはどうしてだろう? 不眠不休で頑張っている人々に対して申し訳ないからだろうか?わたしは特に求められないから、生きていても何の役にも立たないという気分が悲しいのだろうか?(求められても困るのだけど。矛盾してる) いちばん始めの動機に戻ってみようか。ずーっと辿っていく作業は時間が掛かって疲れる。途中で脱線しそう。わたしはスーパーマンにもアンパンマンにもなれないんだなあ、と思う。なりたかったわけでもないんだけど。

*

わたしは文章でもすごく防衛心を纏ったものしか(まだ)書けない、と感じた。中の中を覗くのがコワイというんじゃなしに、それを言語化する作業が非常にしんどいことだったりするのです。どう表現すればしっくりくるのか、取り敢えずわたしの頭の中ではマッチしないことが多くて、ひとつひとつの作業が骨が折れることだったりして。装飾は施してないけど、自分の慣れ親しんだ知ってる(つもりの)言葉に置き換えしただけになっている感じ。誰だってそうだよ、と言われやすい(言って欲しいのだろうか?)言い方をつい、選んでしまっている。伝わってもらいやすいように態と置き換えてしまっている気持ちがある。また時間が経てば、なんか違うことが(自分の中には)浮き上がってくるかもしれない。わたしの防衛心はちょっとやそっとではどうにもならない。自分でもどこからどこまで、が分かってないのだから。
今日も早朝覚醒(午前5時台)があって、一度PC前に座ってみたのですが、また眠気が来たのですかさず布団に戻って2度寝。この時タマも起きていたのですが、このひとは寝起きなのか、寝てないのか不明です。彼女も睡眠障害かもしれません。

最終的に7時頃本格的に起きて薬を投入。朝は時間の経つのが早いこと…。コドモ達を順次送り出してから自分も仕事へ行きました。天気が良いので特売初日としては上々でしょうか。

*

今日はDさんと2人出でした。そう言えば、最近Bさんとは全然顔を合わしてないですね。Dさんとはこの頃では普通に和やかな関係に戻りました。自分が相手次第で、どうしても受身になってしまうので、意識して自分からアクションするように心掛けてはみるのですが、会話が噛み合っているか今一謎ですが…。どっちかというと「うん、うん」と相槌打っている方が多いです。他の部門のパートさんとの会話とか聞いていると、Dさんの方が人間関係の達人だなぁ、やっぱり、と思います。最後、今日もお疲れ様でした、じゃ、また。で、締めくくれてホッとしました。

*

自分だってもうおばさんなのに、他のおばさん達と(いざ面と向かってみると)なんか全然話題とか嗜好とか思考とか指向とか違う気がして、なんかズレてる気がするのがどうにもならないです。二十歳の時から『タマちゃんのおばさん』やってるんですけどね。今更なんですけど。いつの時代も自分を解放できるのは家の中だけ。他の人だってそうなのかもしれないですが。なんかこの頃はどこにいても、あっという間に時間が過ぎていく感じが強いです。
最近特にA系(ADHD・AS・HFA)の話題や書籍に興味が集中している過集中モードに入ってしまった模様。

コダワリ食いと一緒で、興味の対象が半年周期くらいでローテーションする。前の興味から次の興味へ、の過渡期はいつもは(そんなに)行かなかった場所へ出向く、そこで新しいものを見付ける、というアクションが大抵ある。今回の切っ掛けは図書館や書店だろう、と思う。

ここ半年くらいは一度に4桁単位のお金なんて遣えなかったので(それでも遣り繰りしてポプには行ってたけど;)、あえてゲーセン以外の場所には出向かなかった。外食も同居人さまに誘われた時だけ(月1・2度)、文化的な生活、知的活動を促進する生活をあえて避けてしまっていた。欲しい物を見ても諦める・我慢するというコントロールは出来るようになったものの(どういう訳かスイッチを切る、ということが出来る時がある。無意識。意識するとうまく行かない)、その前段階で「そういう刺激を浴びない」という方法のが効率的なのは言うまでも無いのだけれど…。

有り難いことに、わたしは一度に集中力を維持できる事柄がひとつしか選べないので、ポプに夢中だった頃は苦しいながらもとても楽しく充実した日々を過ごしていたと思う。他の趣味嗜好は頭の中で冬眠状態に居られた。もちろん今でもポプは大好きだし、機会を作ってはプレイし続けるに決まっている(笑)けど、本を読みたい、知識を吸収したい、という気持ちが現在は一歩先に進んで来ている実感がする。どれも、何かの役に立つとか、お金が稼げるとか、そういった具体的なメリットのある活動ではないのだけど、自己満足に過ぎないというコトはよーく解かっているけど、自分を掻き立てるものから離れて生活することだけは出来ないのだと思う。

*

この頃、薬を入れて落ち着いた自分の本質はやっぱりASなのだな、という気がする。コドモ時代は間違いなくそう診断されてもおかしくない子だったと思う。母親の実家で素の自分をギリギリ受け入れられていたので、現在の問題、注意と実行機能の障害だけ大きくなってしまったのだと…。ただ許されて庇われているだけでは経験も積めなかったんじゃないかな、と。

――そして現在、わたし方の親戚縁者(母方も父方も。弟も含む)とは付き合いが全く無い。主な理由は、母の死後からわたしがマメに親戚と連絡が出来なかったり、お礼や返事関係をつい先延ばしにしてそのまま放置してしまっていたから、の線が濃厚だと思う。失礼とか常識が無いと呆れられている&オトナとして扱ってまともに付き合える人じゃないと思われているのだと思う。そういうことにものすごく気を遣う人々だから。その間の事情を知らせなかったりもあったので(恩を仇で返しているってことかと)、『もう関わりたくない・関わるつもりも無い』って思われてしまったみたいで。こちらからも今更何も言えない。もういろんな事柄でランクが違いすぎる。わたしが何か言わなければならなくなるのは、この上迷惑を掛けざるを得ない時でしょうか。諍いとかではなく、静かに避けられている(ように思う)ので益々どうしていいのかさっぱり…。気にならないと言ったら違うけど、どうにも説明なんて出来そうも無い。黙って顔にも態度にも出さず怒っていたりしそうなので。わたしがこういう思いをするのは(行動を振り返れば)自業自得ですが。不可解を通り越して不愉快にさせてしまったのだと。つい、うっかりしていて関係が途切れてしまう。そんなことばかり。

*

DSM−IV−TR(米国精神医学会の診断基準)では、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)と診断される時は、ADD/ADHDの症状を持っていても、ADD/ADHDとは診断されないそうです。より問題が大きい方(自閉)の障害名が優先されるのだそうです。ただ、医師によっては障害の質的な対応法の違いの為に、診断名を併記することもあるそうです(最近、わたしは、合併症や共存症の無い、たとえばピュアでADD/ADHDだけのひとのが少ないのではないか?と思ってきている)。わたしのDr.は、わたし自身が訴える困難の最終的解決の為に出来るだけの便宜を図ってくれているのかな…と思いました。

自己満足で痛いニッキですか。自分では判断能力がありません(爆)。自分ではそんなに痛くないと思っています。いろいろな遣り方で自分の特性を理解していこうと思っているのです。

*

■今日買った本(殆ど衝動買い;)

ひとを<嫌う>ということ/中島義道/角川文庫

まだ読んでません(汗) 明日Twin Bee(通院日)なので、待ち時間用ですが、クリニックにも読みたい本いろいろあるのでもしかするとあんまり必要ないかも?
今日は仕事場でAさんとDさんがちょっと考え方の違いで険悪になって、わたしが微妙に身の置き所に困りました。

Aさんは確かに物言いがキツい(わたしは平気。人格否定とか無視とかじゃないので。大抵行動に付いてキツい讒言をされます。もう慣れた)。Dさんは割りと胸に溜める。当の本人には「一応」謝ったり、はい、と請合ったりするけど、実は頭にきてることがよくある。今回は悪口(愚痴?)をわたしに言ってきて、同意してもらいたい様子で…。そういうのが困ってしまいました。

「もともと言い方がキツいだけだから、そんなに気にすること無いよ」って言いはしたものの、Dさんの求める共感を示せなかったのでわたしに対しても不満だったりしたかも(仕方ないよ)。

Aさんは、わたしだったら言いづらいな…ってことを、憎まれ役を買って出てもしっかり言うべきことを言えるので(本人だって言いたくないのだとは思いますが)、そこは尊敬してます。わたしは積極的に文句を言いませんが、はっきり言うべきことと黙っていた方がいいことの判断がしんどいので、自分がそういう役を買って出るなんて怖くて出来ない。それに、他人の尻馬に乗るのもやっぱり恥ずかしい。

Dさんに「そう言えば、Cさん(わたし)って全然愚痴言わないね」とか指摘されてドキっとしました(汗)。んなこたあ無いんですが。言うひとはかなり選びますよー。無防備に付け込まれるって散々経験して今の自分が出来上がってるんですもの。なんか自分が被害者で弱者みたいな言い方でやだな(爆)。そういうつもりは無いのですが、防衛心が厚いのはやっぱり体験から導き出されたもの、としか言えないので…。嘘を吐くのがイヤなら「黙っている」しかない、と。しかも仕事であって、プライベートな関係じゃないのだし…。

安心して喧嘩が出来る、って経験は殆どしてません。だから喧嘩もヘタです。他人同士のいがみ合いも圧迫感を感じて苦しくなります。

*

わたしがそんなこと思っていた頃、同居人さまは機上のひとになりました。日曜にちゃんと帰ってくる、と誓いを交わしたので、自己満足ですが満足です(言い回しがヘン)。

■余談

Coccoの『強く儚い者たち(2番)』が遠くで鳴り響いていたりもしますが ^^; 

*

今日買ってきた伊予柑は微妙にハズレ; ジュワッとしてなくてパサパサしてる。でも食べちゃう♪ 皮をむいた時の鮮烈な香りはすごく魅惑的。
ここ数日、仕事以外どこにも出掛けてないです。仕事の方も飛び石連休で1日出て翌日休んで…って3回くらいそんな感じ。家にいるとついつい眠ってばかりです。1日の睡眠時間総合でどれくらいだろう? 9時間くらいかな? 何かやることがあればそんなに寝ることもないんですけど、結局暇なんですよねー(苦笑)。

小さいショコラティエさん達の洗い物手伝ったりして、やっと今日でチョコ関係の仕事も終わり(ってゆうか、オーブンだって結構電気代食うんだからもう今月はこれ以上作っちゃダメ! と言わなければならなくなり…)。わたしは同居人さまにチョコ(お菓子関係)はあげませんでした。だってコドモ達があげてるし、糖尿とか心配になる年頃だし、コドモ達が作ったものは殆どわたしのお財布から出てるわけだし、……もう言い訳のオンパレード(笑) はい。ただマメなひとじゃないだけです(爆) 最初から勝負(?)に負けてるのです。てゆか、元々スタートラインにも並べないひとなんですね。

そういうわたしは以前は結構なチョコレートジャンキーでしたが、薬を(特にR?)服用するようになってからピタっと求めなくなっちゃいましたね。今はおいしいと思う、食べたいと思うものを少し、で満足体質になっちゃいました。歳とったせいかも。いや、他のことは歳相応にならないのですから、やっぱり薬のせい(お蔭)だと思う。最近おいしいのは伊予柑です。伊予柑フリークになってます。

*

今、家族全員恐ろしいほどみんな仲良く過ごす日々が続いています。後が恐いですね。

*

わたしの診断名は「自分が困っていること・人を困らせてしまうこと」の主訴でADD(注意欠陥障害)になっているけど、実際は典型的ではないがアスペルガーとLD(学習障害)も持っているってことで、空気の読めなさ(気付かなさ、気付いたところでどうにも出来なさ、違和感等実生活でもweb上の文章でも)はピカイチだと思えます。ってゆか、わたしにすれば「ひととひとが同じような感覚・感想を苦労せずに当たり前に共有出来る」っていうこと自体が神業にみえるのですが…。わたしは本当の意味では「共感します」とか「お察しします」なんて言ってはいけないのだろうな、と思ってしまった(相手を尊重する、という意味も兼ねて。自分側に引き寄せすぎないように。要するにちょっと卑屈なのかも)。ちょっと切ない…。自分では自分のことを冷たい、思いやりの無い人間だとはどうしても思いたくないのですが。控えめにすればやっぱりそう見えちゃうものかな。
Aさんのコドモが「おたふく風邪」になりました。暫くの間保育所は出席停止になるので、彼女もその間は当然仕事に来れません。今日わたしは本来は公休だったのだけど、Bさんが一人になっちゃうので、代わりに出てくれるように前もってAさんに頼まれていたのです(27日の話)。

で、そのつもりで行ったら、休みのはずだったDさんが来ている…(Bさんが昨日Dさんに頼んだらしい)。わたしは昨日も休みだったので、そういうことに決まっていたことは知らなかったのでした。

Dさん 「Cさん(わたし)が来るってわかってたらわざわざ来なかったのに、何にも言ってくれないから。何で前もって電話くらい入れないのかね(誰に言ってるの? わたしに? Aさんに?)。2人もいれば十分なのに」

わたし 「わたしもAさんに頼まれたから来ただけですけど。BさんとDさんの取り決めがあったのは昨日休みだったから知りませんでした」

Bさん 「わたしもCさんが来るって知らなくてDさんに頼んじゃったよ。ひとりじゃ無理だから」

――あのー、Aさんは大体において前もって対策するひとです。いくらなんでもわかっていて穴埋めもせず休むって事は、わたしの知る限り今までありませんでしたが…… ^-^;

Dさん 「ま、来ちゃったものはしょうがないけどね(わたしのこと)」

わたし 「……」

Dさんがモロ不機嫌になってるのが解かります。こういう時、わたしはホントに「来ちゃったものはしょうがない」以外の感情を持ちませんが、Dさんには単純で能天気なわたしの想像の域を越えるような「何か」が渦巻いてるのだろうな…と(それくらいのことは今までの経験上察することが出来るようになりました -_-; )思って、なるべくそのことから気をそらそうとして、来たばかりで早速疲労を感じてしまいました。

――今までアルバイトにしろ、パートにしろ「社会的な場」で、これほど「自分の気分」を撒き散らしているひとっていうのを見たことが無かったので(恵まれてたんでしょうかね? 単に気が付いてない幸せなヤツだったのかも…)、そういう部分に恐怖を感じているっていうのもあります。

そのあともわたしが帰る時まで露骨に得意の「シカト」です。わたしの傍にある物を乱暴に音たてて取ったりとか…。すげー解かりやすいひとだなあ、と思うのです。が、……わたしがいくら「社会性に難あり」でも、言葉で伝えてもらえば「何故」の部分を理解することは出来なくはないと思うし、たとえ自分がどんなに気に入らないことがあっても、仕事の場でそのまま感情剥き出しにしてはいけない、ってことくらい解かります。

――…なんか、わたしはまたすごい的外れなことを言ってるのでしょうか。
場の空気が読めてないのでしょうか(そうなんだろうね)。

やっぱり、もうどうでもよくなる以外ないです。 

 

ちょっと飛んで

今の仕事は、特にここが気に入っている、とかここでなければ、という気持ちでしているわけではありません(逆にそういう気持ちで入ったところでは長続きしないのです)。そういう気持ちで(仕事はちゃんとズルしないでやりますが)居続けようとしている自分もよく解からないんですけど…。取り敢えず、雀の涙ほどでもなんとかお金を取ってこなければならないので。

 

また飛んで 

ひとを嫌うのは簡単なようで実は本当にしんどいことだと思います。ただムカツク・気に食わないって言うのは比較的楽ですね(自分の実感。特に感情は伴いません)。

***

同居人さまは「そんなとこやめれば?」と言う。なんだろう…なんか別に辞めたいというワケではないのですよ。もうすっかり気合入ってませんが(爆)

夜は同居人さまと一緒にコンビニへ。このままひとりで24時間ゲーセンへ行こうかな…と思ってやっぱりやめることにします。盛り上がらないうちに(爆)
仕事場のメンバーのAさんが、お子さんの具合が悪くてお休み、Bさんは公休日。ってことは、Dさんとふたりきりです。わたしはAさんもBさんも怖くないんですけど、Dさんを(以前ほどじゃないにしろ)ちょっと怖いと思っています。ちょっとだけ。なんか、いつもふたりになると、Bさんをバカにしたようなことをわたしに言ってくるので困ってしまいます。「…だと思うでしょ? 笑っちゃうよね」って。

 

 

結局、そんなーわたしなんかひとのこと言えませんから、と受け流すしか出来ませんでした。芸なんかナシ。ホントにひとのことなんて言ってる場合じゃないので…。

***
 
今夜は同居人さまが持って帰ってくるビッグコミックスペリオールが楽しみ♪ 最近また漫画もぼちぼち読むようになってきました。自分じゃ買わないけど。

……

2004年1月21日 人間関係
今日は父の命日でした。あ、そういえば…と思い出したのは夜。
酷いムスメですね。自分でもぞっとしちゃいます。

わたしは父に対して「……」というものをあまりにも持たないのです。
家を出るまでの19年間(その後3年半)、どうやって親子やってたのか思い出せない。実感がなくて。
わたしは確かにぼーーっとしてて、いろんなことが抜けてるコドモだったけど、
こんなことってあるのかな、って、すごく奇妙。

わたしが生まれて、父が死ぬまでずっと「実の親子」だったはずなのに…。

無理矢理凝縮したとして、いったい何年分の関わりがあったんだろう……。
あまりにも存在だけの空白。

こわいひと。すぐおこるひと。あるひ突然帰ってくるひと。わたしの世界とは全然ちがうひと。

わたしはずっと「嫌い」なのだと思っていたけれど
本当はあまりにも解からなかったから、「好き」にも「嫌い」にもなりようがなかったのだと思った。
ただ怖かった。ずっと長い間。

(もし、わたしがコドモからそんなふうに思われたらどうだろう。

わたしだったら……)

今、思い出した。

タマを見る目は少し優しそうだった。
そういう時間、ホントにすぐに終わっちゃったね。できることならもっとそういう面を知りたかったな。

わたしはあなたを知らなさ過ぎました。

もう遅いね。

でも、やっぱり「お父さん」だったんだよね。

……何が言いたいのか自分でも解からなくなった。
わたしは忘れられないのにすぐ忘れちゃうんだ、ってことだな。
取り敢えず前置き。

同居人さまはわたしのコドモ達の実の父ではありません。「おとうさん」と呼ばせて8年、完全同居人になって4年になりますが、戸籍上でも他人です。そこはいろいろ事情があるのですが、本当はそんな事情なんかより「今現在の現状」を優先して、世間で言うところの「入籍」というものをさっさとしてしまいたい…と何かある度思ったりします。

わたしには「(戸籍上)母子だけ」でいることのメリットなんて特にないのだし、わたしの思うところの「今現在実際存在している生活しているひとつの家庭」の現状にしっくりこない違和感があります(ここ以外に『本』家庭がある、というような二重生活とかはありません)。何より潔くなくて自分がそういう状態に長年置かれているのがダメなんですね…。

 

相手と自分それぞれポリシーがあって、納得して籍を入れないで同居、というのと、事情があって、それに甘んじていなければならないから、と言うのは、ひとから見れば結果同じようかも知れないけど全然違います。

どう振舞えるようになろうと結局曖昧なまま放置することはどうしても苦手なんです。自分にしっくりこないんです。わたしという造りが単純なんです。複雑な社会?に追いつかないんです。
とにかくコドモ達諸共「何か」と比べられて負けたのか、軽く考えられてるのか…と時々堪らなくなってしまいます。必死で頭使って考えた状態さえフツーの人から見たらヴァカでオコサマで短絡的なのでね(自爆)。向こうの言い分としてはヴァカをヴァカにして何が悪い?! 悔しかったら利口になれってことでしょうか? そういうのがもう堪らない(苦)

……『脳内一人芝居劇場』
この言葉気に入ってしまいました。まさに自分のことかと…。

……そうじゃないことは頭では理解しているつもりですが。つもりって曲者ですね。本当に納得してないんですから。誰にでも事情はある。でも事情なんかに縛られないで誰を敵に回してもわたしを選んでよ優先させてくれよー!! ってやっぱり思います。かなしい本音です。周囲はともかく同居人さまには本音を隠してはいません。

今も、だけど、ひとを追い詰め過ぎない、というのがずっと付いてまわるわたしの課題ですか。

自分を追い詰めるのも…。

これ以上は深く突き詰めません。単純でコドモでワガママなコトリの小さな頭で要望とか欲望とか少しだけ(少しじゃねえ;)囀ってみたかっただけなので。
鳥語はニンゲンには届かなくても仕方ないのです。

 

in the nest・2

2004年1月16日 人間関係
今日は何事もない日でした。ホッとするね。

仕事も休み(朝から支度しなくて済む)
食材も十分(買い物行かなくて済むからその支度しなくて済む)
ささやかな幸せはこういうこと。レベル低すぎ(笑)

壁はあくまでも『時間』だったり。

心に余裕が出来るまで十分な時間があったので、今夜は騒乱状態を引き起こさなくて済みました♪

 

人の相手をする(心地よくさせてあげる)というのは、それ自体が職業になってお金を稼げるのですから、かなりの技術とやっぱり適性とかあるんですよね。

わたし絶対向いてない…。ムキダシの相手なんてホントは誰も求めないと思います。フツー逃げるって。

in the nest

2004年1月15日 人間関係
今日は同居人さまの誕生日でした。

イヴェント大好きコドモ達はちょっとでも普段とは違った雰囲気にしたいらしくて、それでは…とオンザリッツを作ってもらうことに(大皿3枚分も作って食べきれるのかいっ!(汗)て感じでしたが、心配は無用でした)。モモチビの力作と同居人さまが自分で買ってきたケーキでお誕生日おめでとうです。ここまではみんな楽しく笑っていました。楽しい1日で終わるはずと思いました。
……
 

それなのに。

 

コドモ達が寝た後、ホントにちょっとしたことで同居人さまとケンカになってしまいました。いや、ケンカならまだいいですが。険悪な状態…って言う方が近いです。そのうちエスカレートして暫く振りに「いつ荷物纏めて出ていくんだ」まで飛び出す始末。今年初だね。

黙り込んだまま少し時間が経って、向こうから仲直りを切り出してくれたのがすごく嬉しくてホッとしました。わたしは自信がなくて拒絶されるのが辛くて、そんなつまんないことで自分の方から素直に謝れない時が多いです(全く、コドモに偉そうなことなんて言えません)。

――こんなことを書くだけで結構エネルギー使ってしまいました。もう、普通に笑えなくて(痛)。すごい自意識過剰。何を怯えてるんでしょうか。本気で捨てられること? どうしていつもこうなってしまうのか。もう原因なんて考えたって仕方ないんです。わたしは言葉を重く捉えすぎ、同居人さまは別にそうではなかった、っていう違いだけなんです。わたしもしんどいけど同居人さまもキッツいと思います。このひとの前では自分の中のコドモの部分が抑えきれなくなってしまいます。とんだ誕生日にしてしまいました。

GOMENNASAI
15分の休憩を挟んでの(それでも一旦家まで帰る余裕のある距離なのですよね)延長の仕事もやっと終わり、今年は仕事納めです。次は4日から。3日も休みなんて初めてのことですよ! きっとあっという間に終わって平常業務に戻ってしまうのでしょうね…。

お正月っていってもそんなに特別なことでもない気分にさせられますが、やっぱりちょっとは嬉しいものです ^-^

もう、何もかもどん底一歩手前で明けた2003年でしたが(意味不明で暗い日記を書いていたものです)、仕事に行き始めたことや、診断が下りたことや、やりたいことを細々と続けて来れたこと等、自分的には例年よりはかなり前向きに頑張ってきた、と思います。必要な我慢と忍耐をほんの少し憶えたのでしょうか? めっちゃ疲れましたが。余計な疲れをちゃんと回復(&回避)させるスキルをもうちょっと得たいように思います。相変わらず我武者羅かばたんきゅうか、ってところがなかなかバランス取れないのです。随分恵まれているにも関わらず……。

人と接していくことも、もう少し積極的に出来たら……これ以上は手に余ることなのかもしれませんが。ここのところの限界値が自分でも分かりません。頭で考えるよりも実行した方が自分を知る為にはなるのでしょうね。

2003年ももうすぐ終わり。

いろいろお世話になったひと達みんなみんなありがとうございましたm(_ _)m

来年もささやかに幸せで、笑顔でいられて、頑張る気持ちをしぼませずに過ごせますように…

そして、わたしのままで、あなたのままで幸せになりますように、と願います。

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